F1ピットストップBACK NUMBER
ラウダ、プロスト、アロンソ、ベッテル…数多の名ドライバーが食らわされた、フェラーリの“やらかし”と内紛の黒歴史
posted2022/08/16 11:00
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
Getty Images
「フェラーリの魅力には誰も逆らえない。跳ね馬(フェラーリのシンボルマーク)は神話なんだ。どんな車と比べても、フェラーリはどこか特別。魂の宿った車なんだ。F1マシンも同じくらい素晴らしいものであることを願っている」
これは7月末に今シーズン限りでの引退を表明した4冠王者のセバスチャン・ベッテルが、2015年にフェラーリに移籍する直前に語っていた言葉だ。フェラーリはF1が世界選手権として創設された1950年から参戦し続けている唯一のチーム。フェラーリでF1を走ることは当時から多くのF1ドライバーの夢であり、それはいまも変わりない。
しかし、跳ね馬が魅力的であればあるほど、フェラーリに加入した後に経験する現実に、数多のドライバーたちが苦悩してきたことも、また事実だった。
シャルル・ルクレールは今季開幕戦で優勝し、シーズンのチャンピオンシップ争いをリードするかに見えた。しかし第7戦モナコGPでは、圧倒的優位のポールポジションスタートながら、チームがピットストップ戦略で痛恨のミスを犯し逆転負け。第10戦イギリスGPではトップを走行中のセーフティーカー導入時にピットインさせてもらえず、結果的に優勝を逃した。さらに夏休み前の最後の一戦となった第13戦ハンガリーGPでは、レース終盤にトップチームで唯一フェラーリだけがハードタイヤを選択し、優勝争いを演じていたルクレールがペースダウン。まさかの6位に終わった。
エンツォに始まったフェラーリの掟
なぜ、フェラーリはこのような失態を繰り返すのか。そこには、伝統のチームならではの「驕り」が見え隠れしているように思える。
それは、ドライバーよりもスクーデリア(チーム)が優先されるという掟だ。
これは創始者であるエンツォ・フェラーリがドライバーに厳しかったことが大きく影響している。不死鳥と呼ばれた偉大なドライバー、ニキ・ラウダも例外ではなかった。
75年にフェラーリで王者となった翌年、大事故に遭い、瀕死の重傷を負ったラウダは、1カ月後に奇跡のカムバックを果たして、タイトル争いに踏みとどまった。
そして、最終戦「F1世界選手権イン・ジャパン」が開催された富士スピードウェイは、豪雨と深い霧に見舞われる。危険性を訴えるドライバーがいる中、レースがスタートされるとラウダは2周目にスローダウンしながらピットイン。レースを強行した主催者への抗議のリタイアだった。