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「おまえはニキ・ラウダだ」…角田裕毅が更新したF1出走記録の元保持者・片山右京が現役時代に笑えないジョークを発した理由
posted2025/06/06 11:02

1997年の片山右京。ミナルディで17戦を戦い、F1のキャリアを終えた
text by

尾張正博Masahiro Owari
photograph by
Getty Images
第9戦スペインGPで、ある記録が更新された。それは日本人F1ドライバーの出走記録だ。
第8戦モナコGPで、角田裕毅(レッドブル)が歴代最多出走記録の95戦目に到達。続くスペインGPはピットレーンからだったが無事にスタートし、単独トップとなる96回目の決勝レース出走を決めた。
従来の記録保持者は片山右京。1992年にラルースからF1にデビューし、ティレル、ミナルディと渡り歩き、97年に引退するまで6年間フル参戦した。97戦にエントリーし、2度予選落ち(予備予選落ち)があるものの、それ以外はすべて決勝レースに出走。97年のヨーロッパGPで「95回」の記録を打ち立て、引退した。
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これは日本人で初めてフル参戦を果たした中嶋悟の74回、日本人で初めて表彰台に立った鈴木亜久里の64回を大きく上回る大記録となった。その後、2002年から08年まで活躍した佐藤琢磨が片山の記録に迫ったが、所属していたスーパーアグリがシーズン途中に撤退したため、90回にとどまった。
12年に日本人として3人目の表彰台を獲得した小林可夢偉は09年にF1デビュー。10〜12年はザウバーからフル参戦し、1年間のブランクを経てF1に復帰したものの、75回目の14年アブダビGPがF1での最後のスタートとなった。
小林がF1を離れてから、日本人ドライバーは長らく不在となった。その重い扉をこじ開けたのが21年にデビューした角田だった。7年ぶりの日本人F1ドライバーとなった角田は、デビュー戦となったバーレーンGPでいきなり入賞。その後もフル参戦を続け、レッドブルの姉妹チームであるアルファタウリ→レーシングブルズで4シーズンと2戦を過ごし、今シーズンの第3戦日本GPからトップチームであるレッドブルに昇格。現在5シーズン目を戦い、第9戦スペインGPでついに片山の大記録を抜いた。
ベテラン記者の忘れ得ぬ記憶
28年ぶりに記録が更新されたスペインGPには、いまもなお片山を愛するジャーナリストがいた。そのひとりであるボブ・コンスタンデュロスは長年、国際自動車連盟(FIA)の記者会見の司会者を務めていた大ベテランだ。そのコンスタンデュロスには忘れられない記憶がある。
「あれは確か93年のマニクール(フランスGP)のことだったと思う。あんなに会見場が静まり返り、その後、爆笑したFIA会見は、私が知る限り後にも先にもあれだけだった」
その会見で主役となったのが片山だった。公式会見ではほとんどのドライバーが本音を語ろうとしない。そんなとき、ある記者が「あなたが知っている面白いジョークはなんですか?」と質問した。そのお願いに、片山だけが本当のことを話し出した。