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「“ヒロシ”は最終決定を意味する言葉」マクラーレン代表アンドレア・ステラと日本人エンジニア今井弘との強固な信頼関係
posted2025/10/09 11:03
マクラーレンをコンストラクターズ2連覇に導いたステラ。左胸にはいつもジル・ド・フェランのピンズがついている
text by

尾張正博Masahiro Owari
photograph by
McLaren Racing
男はあの日も同じピンズを胸に付けていた。男とは、シンガポールGPでコンストラクターズ・チャンピオンに輝いたマクラーレンのアンドレア・ステラ代表だ。
マクラーレンは昨季、フェラーリとの激戦を制して、1998年以来26年ぶりにコンストラクターズ・タイトルを獲得。今季は開幕から独走状態の強さを披露し、6戦を残して2連覇を達成した。これは、2023年のレッドブルと並んで最速タイ記録だった。
ステラはそのマクラーレンを23年から統率してきた。胸に付いているピンズは、マクラーレンのコンサルタントとしてステラを支えていたジル・ド・フェランのヘルメットを模したものだった。
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「私がこのピンバッジを付けているのは、チーム代表の打診を経営陣から受けた際、相談した相手のひとりがジルだったからだ」
ステラは代表就任にあたり、通常のチームでは1人しかいないTD(テクニカルディレクター)を3人とするトロイカ体制を採った。
通常、F1マシンの開発はひとりのTDの意思によって決定されることが多い。TDを複数置いたステラの決断は、当初、多くのメディアから不安視された。だが、ステラには自信があった。
「誰が意思決定するのかが問題ではなく、協調してやっていくことが大切。そういう資質を持たない人は、そもそもこのチームにはいないはずだから」
決断の背中を押したのが、ド・フェランだった。ド・フェランはインディ500で優勝した実績あるドライバーにもかかわらず、腰が低く、人間的に素晴らしい人物としてF1界でもリスペクトされている。
「ジルはいつも私の味方であり、アドバイザーであり、個人的なコンサルタントだった。彼がいたからこそ、このチームに新しい基盤を導入し、独自のカルチャーを作ることができたと思う」
しかしド・フェランは、ステラがチーム代表になった23年シーズン末に帰らぬ人となった。
もうひとりの相談相手
ステラにはチーム代表になるにあたって相談した仲間がもうひとりいた。24年までマクラーレンのディレクター・オブ・レースエンジニアリングおよびディレクター・オブ・タイヤ&ブレーキパフォーマンスを務めていた今井弘だ。
「ヒロシは同僚というだけでなく、個人的にも密接な関係を築いてきた友で、人生の重要な決断を行う前にはすべて彼に相談してきた」


