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<7月第一子を出産> “ロシアの妖精”シャラポワ35歳は「ウクライナ侵攻」に苦悩していた…アメリカ在住でも「私はロシア国籍で生きることを選んだ」
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byAFLO
posted2022/07/29 17:01
3月にパリのファッション・ウィークに登場したシャラポワ。祖国・ロシアについて”沈黙”を守っていたが…
ロシアに自分の母親を重ね、愛し続けた
遠いはずのロシアをこれほど愛し続けたのは、母国に自分の母親を重ねていたからではないだろうか。母のエレナはほとんど表に出てくることのない人だった。試合に同行するのはいつも父のユーリだけ。長時間のフライトが苦手なのよ、とシャラポワは笑っていた。メディアに登場することもなく、ネットで検索しても家族で撮った写真がわずかに見つけられる程度である。
シャラポワは数々の成功を手にするたび、自分のテニスのために母に多くの犠牲を払わせたことを口にしたが、初優勝した2008年の全豪オープンで、その母についてもう少し詳細に語っている。
「母はとても物静かで知的な女性。私の教育に熱心で、初めてアメリカに来たときからは、ロシア語でエッセイを書くことを教えてくれたわ。ロシア語の本もたくさん読まされた。『2年間、ずっとやっていなかったでしょう』って。それから、私をよく博物館へ連れて行った。どこでどんな催しをやっているかをよく知っていて、ミュージカルにもよく連れて行ってくれるわ。本当にすばらしい女性なのよ」
母を通してロシアの文学を学び、ロシアの芸術を知った。そんな母を誇ることは、ロシアを誇ることだったに違いない。だから、「ウクライナの惨状に心を痛めている」と綴ったものの、本当に心を痛めていることはそれだけではないはずなのだ。
WTAもATPも現在ロシアとベラルーシの選手の国名をはずしているが、それは引退した選手に対しても同様だ。ロシア選手として男女を通じて史上ただひとり、キャリアグランドスラムを達成したシャラポワのプロフィールにも国名の表記はない。この悲しい現実も、やっと欲しかった幸せのかたちを手に入れたシャラポワには些細なことなのだろうか。母となったシャラポワの口から祖国への愛をふたたび聞く日は、遠のいていくようにしか今は見えない。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。