テニスPRESSBACK NUMBER
<7月第一子を出産> “ロシアの妖精”シャラポワ35歳は「ウクライナ侵攻」に苦悩していた…アメリカ在住でも「私はロシア国籍で生きることを選んだ」
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byAFLO
posted2022/07/29 17:01
3月にパリのファッション・ウィークに登場したシャラポワ。祖国・ロシアについて”沈黙”を守っていたが…
それから約40日後、4月19日の自身の誕生日にビキニとロングパンツという姿で海辺に立ち、ふっくらしたお腹をアピールするようなポーズをとる写真をインスタグラムで公開した。プライベートな幸せの追求と、社会に影響力を持つ人間としての責任。ただでさえそのバランスをとることは難しいに違いないのに、これほど両極端な事象にはさまれた苦悩はいかばかりだっただろうか。
子供のとき、ロシアで人格は作られた
そもそもシャラポワのロシアへの思いは希薄だとか、中身はアメリカ人だと考えている人も多いが、そんなことはない。ロシア人としてプレーし続けたシャラポワは、そればかりかアメリカの市民権すら取得していないという。2015年にニュース専門放送局CNBCのインタビューでこう断言している。
「私が望めば、間違いなくアメリカの市民権を取得することはできたはずです。でも、私はこの問題について一度も自分自身に問いかけてみたこともないし、家族やチームと話したこともありません。ロシアの風土や文化の中で、子供のときにすでに私の人格は作られたと感じています。不屈の精神もそこで育まれました。だから私はロシアの国籍だけを持ち続けて生きることを選んだのです」
ロシアは二重国籍が認められているにもかかわらず、あえてそうしなかったというのだ。ロシアは7歳まで暮らしただけで、それから11年もの間、一度もロシアの地でプレーしたことはなく、国別対抗戦のフェドカップにも消極的だったシャラポワが、そんな決意を抱いていたとは意外だった。ロシア人としてオリンピックに出たいという願いはよく話していたが、それすら本当だろうかと疑いの目も向けられていたくらいだ。