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「本当に中垣内が必要なのか」中垣内祐一はなぜ批判されても“外国人コーチ”に実権を握らせたのか? 東京五輪8強の真相「話すのはこれが最後」
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byGetty Images
posted2022/07/08 17:02
東京五輪で29年ぶりのベスト8進出に導いた中垣内祐一前監督。多くの困難を乗り越えながらも、自らの意志を貫いた
最初は難航した。中垣内自ら単身ワルシャワへ飛び、空港でブランと対面、コーチとして何を求めるかを訴えた。だがそのやり取りも最初は平行線のまま、交わることはなかったと苦笑いを浮かべる。
「お前は次の強化をどう考えているんだ、と聞かれたので、俺の考えはこうだ、と示す中、一番重要なのはサーブだと主張したんです。そうしたら彼はその紙をポイっと、投げて(笑)、『サーブなんて今のインターナショナルルールでは勝敗を左右する大きな要素にはならない、重要なのはサイドアウトだ』と。おいおい何を言うとんねん、とそこから激論ですよ」
周囲を気遣う日本人と比べれば、何事もストレートで主張したら譲らない。加えて、世界での実績と絶対的な自信もある。コーチ就任を承諾してからも、衝突した回数は数えきれないと笑う。
「大前提として、自分が監督にならなければ外国籍のコーチに指導してもらえないと思ったところからスタートしているので、彼(ブラン)の意見を尊重するのは当たり前。ただ、彼はブルドーザーのような突進力がある人。5年一緒にやった今でこそわかるようになりましたが、最初の頃は彼の思考ルーティーンが見えず、どういう判断を下すのかわからず、提案すれば跳ね除けられるという状況でしたから、ストレスもすごかった。胃に何個も穴が開きました」
「本当に中垣内が監督として必要なのか」
過度なストレスがかかった要因はそれだけではない。
ただでさえ時間が限られた中で迎えた新体制のスタート。しかし就任直後の16年11月に人身事故を起こし、翌年6月まで対外活動を自粛した。そのため、最初の大会となったワールドリーグ(現ネーションズリーグ)はブランが監督代行として指揮を執る。当初から戦術面や練習メニューに関してはブランに主導権があったため、9月のワールドグランドチャンピオンズカップを前に監督として復帰しても、タイム時に輪の中心で選手へ指示を出すのはブランだ。その光景を見て「本当に中垣内が監督として必要なのか」と揶揄された。
「全く気にならなかったかと言えば、多少は気になった時期もありました。でも、そこでどう見られようと、監督なのに何もしていないと言われても、反論せずずっとやってこられたのは“選手にとって何が重要か”が揺るがなかったから。
フィリップだけでなく、代表チームというのは選手のために、フィジカル、メディカルのトレーナー、アシスタントコーチ、アナリスト、マネージャー、専門分野の異なるスタッフに、それぞれプロとして満足にやりたいことをやってもらう場所。その環境をつくるのが監督の仕事です。自分の立場を振りかざして、俺が監督やぞ、と前に立ったところで、何も選手のためにならない。“船頭多くして船山に登る”という言葉があるように、選手に対してバレーボールのことを言う人間は1人でいいと思っていました」
睡眠導入剤も手放せない日々……
16年の就任から5年。振り返れば度重なる批判も受けた。18年の世界選手権でグループリーグ敗退を喫すると「退任論」も巻き起こった。
胃に開いた穴だけでなく、睡眠導入剤も手放せない。それほどのストレスと逆風の中でも前進し続けられたのは、周囲で支えてくれた人たちの存在に恩返しするためにも東京五輪で結果を残さねばならないという使命感。そして何より、これからの日本バレーボール界、選手たちのために率先して訴えていきたいこともあった。
「選手を1人でも多く海外へ送り出したいと僕はずっと言い続けてきたんです。石川が大学1年でモデナに行った時も素晴らしいことだと思ったし、柳田、(古賀)太一郎、(大竹)壱青、福澤(達哉)、オリンピックの後は関田(誠大)、西田(有志)、(高橋)藍も海外へ行った。それぞれが刺激を受けて帰ってきたと思いますし、鉄は熱いうちに打て、じゃないですが、早い時期に厳しい環境でもまれ、刺激を受け学ぶものは本当に大きい。一番伸びる時期だからこそ、厳しい環境に置いて鍛えることは大事なので、どんどん送り出せ、と思っていました」