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我那覇和樹41歳が語る“J5で引退していない理由”と“オシムへの感謝”「必要とされる限り…」「あの記事を読んで僕はサッカーを」

posted2022/07/16 17:02

 
我那覇和樹41歳が語る“J5で引退していない理由”と“オシムへの感謝”「必要とされる限り…」「あの記事を読んで僕はサッカーを」<Number Web> photograph by Yukihiko Kimura

インタビューに応じてくれた我那覇和樹

text by

木村元彦

木村元彦Yukihiko Kimura

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Yukihiko Kimura

 かつての日本代表、あの時と今——。我那覇和樹が巻き込まれた“ドーピング冤罪事件”の経緯と、41歳の今も現役生活を続ける彼に話を聞いた(全2回の2回目/前編からの続き)。

 沖縄出身者で初の日本代表にオシム監督(当時)によって選出され、先発FWとしての地位も固まりつつあった中で巻き込まれた冤罪事件は、我那覇の選手生命に大きな影を落としたが、その後もサッカーも続け、今に至る。大分での現在地と恩師オシムの思い出について聞いた。

やっぱり自分の本質の一番はFW

「大分はいつも晴れていて気持ちいいです。より沖縄に近いというか。ジェイリースは上を目指しているチームなので、そこはこれからもっと伸びると思うし可能性があるので楽しみです。

 若い選手が多いので経験という部分で還元してほしいというのは期待されていると思うし、試合に出て点を取ってチームの勝利に貢献して、JFLに引っ張ってほしいという思いも感じています。地域CL、JFL昇格を目指すためにも質を上げていきたいですね。僕自身はポジションにはあまりこだわりなくて、必要としてもらえるならどこでもトライしたいと思いますが、やっぱり自分の本質の一番はFW、点を取ることだと思うので。そこで自分のストロングポイントを出せるのかなと思っています」

 大分市の西部スポーツ交流ひろば、駄ノ原総合運動公園と毎日のように練習場が変わる中、我那覇はすっかりこの地が気に入ったようだった。

——晴れている日が多くて沖縄に似ているというコメントですが、やはりルーツである沖縄に対する思いは強いですね。もう23年前になりますが、沖縄出身者で三人目のJリーガーになって川崎にやって来た。やはり背負っていたものは大きかった?

「おっしゃったように沖縄から本土に出て来て右も左も分からない中で、電車の乗り方も知らなかったし、時々、ホームシックで『沖縄に帰りたいな』と思っていました。富士通の寮に住んでいた時代ですね。そんな中で優しく声をかけてくれる先輩、中西哲生さんとか今ジュビロで監督している伊藤彰さんとかからすごく良くしてもらいました。

 ポジション争いもあって最初は試合にも出られなくて、その1年目はJ2で3試合、2年目から少しずつ出場機会を得ることになりましたけど、奥底にあったのは『沖縄の選手だから』という理由でバカにされたくない、沖縄の選手でもやれる、あとは自分の後に続く選手に向けて……。

 やっぱり自分がダメなら、もうたぶん沖縄からJリーグにはスカウトされないんじゃないかという気持ちでやっていました。勝手かもしれませんが、沖縄を背負ってやっていたので。沖縄だからできないじゃなくて、沖縄だからこそできるということを示したいなと思って、日々取り組んでいましたね」

【次ページ】 “あの冤罪”については「サッカーを裏切らず、真実を明らかにして欲しい」

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