格闘技PRESSBACK NUMBER
殴る、殴る、ひたすら殴る… 伝説のドン・フライvs高山善廣から20年、「頬骨が軋む音」を聞いたカメラマンの証言《本人コメントも》
text by
長尾迪Susumu Nagao
photograph bySusumu Nagao
posted2022/06/03 17:03
2002年6月23日、『PRIDE.21』で繰り広げられたドン・フライと高山善廣の壮絶な殴り合い。現在もMMA史上に残る名勝負として記憶されている
この試合の後、フライは“PRIDE男塾塾長”と呼ばれ、ゴジラ映画に重要な役どころで出演、CMにも起用された。一方、一躍人気プロレスラーになった高山は2004年に脳梗塞を患うも、懸命な努力でリングに復帰。試合以外でもNHKの大河ドラマやバラエティ番組、映画に出演するなど、日本を代表するトップレスラーになった。
それぞれ“伝説の試合”の当事者としてリスペクトを集め、活躍していた2人。その後の人生で両者に待ち受ける過酷な運命を、いったい誰が想像できただろうか。
死の淵をさまよったフライ、そして高山は…
フライは2011年に現役を引退したが、歴戦のダメージが身体に蓄積し、幾度もの手術を繰り返した。2016年には手術中に昏睡状態となり、3週間もの間、集中治療室で意識を失っていた。体重は20kg以上も落ち、さらに追い打ちをかけるように妻と離婚、2人の娘とも離れ離れになった。現在は体調も戻り、UFCの殿堂入りのセレモニーでは元気な姿を見せたが、一時は自殺も考えるほどだったという。
高山の事故に関しては、ご存知の方も多いと思う。2017年5月、プロレスの試合中に頭部を強打。首から下が動かない頸髄完全損傷を負い、現在も療養生活を続けている。
2019年1月9日のブログで、高山は私が撮影したドン・フライ戦の写真を掲載してくれた。当時を振り返り、「ドン・フライ戦は俺にとって大きな転機となったことは間違いない。その意味でもドン・フライには感謝しているし、当時プライドに挑戦させてくれた関係者にも改めて感謝している。この写真を見るだけで、あの時を思い出す」(原文ママ)とフライへの感謝をつづっている。
同年、2人はテレビ番組の企画で再会した。フライは「辛いときに君との試合を思い出した。あのときに戻りたい。その思いでリハビリを乗り越えた。私は君に救われた」と言葉をかけ、高山は「こないだドンとの試合をパネルにして抱いた。あの試合を忘れないように」と語った。闘った者同士にとっても、あの激闘が心の支えになっているのだ。