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32歳で天国に旅立った炎のストッパー・津田恒実…親友・森脇コーチが今年も訪れた、あの場所「アイツと会話している気分になる」 

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千葉ロッテマリーンズ取材班

千葉ロッテマリーンズ取材班Chiba Lotte Marines

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photograph byMakoto Kenmisaki/Chiba Lotte Marines

posted2022/05/30 11:07

32歳で天国に旅立った炎のストッパー・津田恒実…親友・森脇コーチが今年も訪れた、あの場所「アイツと会話している気分になる」<Number Web> photograph by Makoto Kenmisaki/Chiba Lotte Marines

広島時代に一緒にプレーした故・津田恒実(旧名・恒美)とロッテ森脇浩司ヘッドコーチ。亡き親友との時間を想い出しながら、後進の育成に尽力する

 森脇ヘッドが南海(のちのダイエー、現在のソフトバンク)に移籍した後、津田氏の病気の事を知った。「疲れがとれない」と言っていたが、その後、脳腫瘍が発覚した。福岡の病院に入院していたこともあり、福岡に本拠地を置くダイエー時代に頻繁に顔を出し、一緒に病院の前の公園を散歩したりした。

 忘れられない思い出がある。病状は厳しいと聞かされていた中、一時、奇跡的に状態が良くなり退院することが出来た。12月24日、クリスマスイブの事だった。

「夢のような時間だった。2人で昼過ぎに病院を出て、デパートに向かった。息子にクリスマスプレゼントを買ってあげたいと言っていた」

 2人で色々な話をした。嬉しそうな顔をしていた。「オレ、頑張っただろう?」と聞かれ、「すごく頑張った。オマエも凄いけど、家族も大変だったと思うよ。だから、感謝の気持ちを伝えろよ」と返した。

 森脇ヘッドにとって一番思い出深い津田氏の投球は当時、全盛期だった阪神のバースをすべてストレートで3球三振に仕留めたこと。「あれは凄かったぞ」と話すとなんとも嬉しそうな顔をしていた。その顔は今でも忘れられない。

 しかし、一度は安定した病状が悪化し、再び入院。オールスター休みで大分にいた森脇ヘッドは津田氏の家族に電話を入れた際に「声のトーンが違った。すぐに福岡に向かった」と病状の悪化を知り、急いで病院に駆けつけた。しかし、残念ながら最期を看取ることができなかった。唯一無二の親友と永遠の別れとなった。

披露宴に津田の席を用意した

 有名なエピソードがある。そのオフに結婚した森脇ヘッドは、披露宴を行った際に津田氏の席を用意した。

「みんな特別な事と思ったかもしれないけど、ボクにとっては特別なつもりはなく、アイツの席は用意しないといけないと思っただけ。食事も順番に出して欲しいとお願いして出してもらった」

【次ページ】 「還暦になったら旅行をしよう」

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