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32歳で天国に旅立った炎のストッパー・津田恒実…親友・森脇コーチが今年も訪れた、あの場所「アイツと会話している気分になる」
posted2022/05/30 11:07
text by
千葉ロッテマリーンズ取材班Chiba Lotte Marines
photograph by
Makoto Kenmisaki/Chiba Lotte Marines
千葉ロッテマリーンズの森脇浩司ヘッドコーチには、マツダスタジアムに来ると必ず訪れる場所がある。
一塁側ベンチ裏。コンコースを挟んだブルペンに面する廊下の壁に、一枚のプレートが埋め込まれている。炎のストッパーとして広島で活躍しファンから愛されながら、1993年7月20日に脳腫瘍のためこの世を去った津田恒実氏のものだ。
プレートには「直球勝負 津田恒美(享年32歳)笑顔と闘志を忘れないために。」と書かれている。
森脇ヘッドとは同じ年齢で、84年から87年まで共に広島でプレーした親友だった。
「プレートを触ると、アイツに触れているような気分になる。アイツと会話をしているというかね」
森脇ヘッドコーチはマツダスタジアムを訪れると、毎回広島の関係者に頼み、まだ誰もいない時間帯を見計らって、手を合わせ、プレートを触る。それが恒例の儀式だ。親友と必ずここで心を通わす。
「あれからもう早いもので30年近くが経とうしている。月日が流れるのは早いね」と遠くを見ながら、親友との思い出を語り出した。
怪我と戦いながらプレーした2人
出会いは近鉄からトレードで広島入りした84年の事。同じ年齢という事で練習の時に声を掛けた。最初の印象は「なんかムスッとしていた」。津田氏は人見知りな部分があったのだろう。しかし、すぐに打ち解け、宮崎日南キャンプでは一緒に食事に行く仲となった。
森脇ヘッドは近鉄時代に肩の神経がマヒして2カ月以上、入院生活を送った。その後も左ひざのじん帯を断裂するなど、たびたび怪我にも見舞われ、苦しい日々を送ってきた。津田氏もまた指の血行障害などに悩まされていた。怪我と戦いながら諦めずに全力プレーを続ける2人はすぐに意気投合し、いつしかなんでも語り合える仲となった。