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オリンピックへの道BACK NUMBER
“高橋大輔の同期で元ジャニーズJr.”小林宏一が明かす「『SHOCK』に出たらすぐに新幹線でリンクに」多忙すぎた異色の両立生活
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byYuki Suenaga
posted2022/05/28 11:00
全日本選手権に8回出場したフィギュアスケーターで元ジャニーズアイドル…異色の経歴を持つ小林宏一に話を聞いた
「けっこう親が現実主義で。サッカーも野球も競技人口が多いですから、絶対に勝てないと。それに比べて、その当時はフィギュアスケートの、しかも男子の競技人口は本当に少なかったので。母の考え方は理由の1つかもしれないですね(笑)。
その上で、やめたらどうなっちゃうんだろうという気持ちも強かった。それこそ小学校を卒業するときには、もう10年やっていたことになるので……。そもそも自分の頭の中に、やめる選択肢というのが浮かばなかったように思います。今思えばですけど」
決して楽しいというわけでもない。だけど、なぜかやめられない。だが、年月をかけて打ち込んだ成果は自然と結果に表れていった。
母が履歴書を送って、小6で「ジャニーズアイドル」に
中学1年生で初めて全日本ジュニア選手権に出場。高校2年生のときには全日本ジュニア選手権で2位となって、はじめて出た全日本選手権では8位に。さらには世界ジュニア選手権の日本代表にも選出される。シニアになったあとはNHK杯にも出場した。
その一方で、もう1つの肩書きとなっていたのが、「アイドル」であることだった。
「きっかけは小学6年生のときですね。母親が履歴書をずっとジャニーズの事務所に送っていたんです。そうしたら6年生の6月くらいに通知が来て。すぐに『WiNK UP』という雑誌に載せていただきました。そこからどんどんコンサートにも呼ばれるようになって」
ジャニーズアイドルとして本格デビューを目指す「ジャニーズJr.」として、KinKi KidsやV6などのコンサートでバックダンサーを務め、活動を広げていった。数百人がいる中でメンバーに選ばれてユニット活動もした。
「親は、(スケートより)ジャニーズのほうを頑張って欲しかったみたいですけどね(笑)」
小林もまた、芸能界という華麗な世界に惹かれていた。
舞台『SHOCK』に出て、新幹線でリンクにとんぼ返り
「堂本光一さんが長年続けている『SHOCK』という舞台にも出していただきましたよ。ローラーブレードをフィギュアスケートっぽくスピンしてっていうオファーで(笑)。でもスケートの練習はサボれないから、リハーサルもなかなか行けないし、本番でさえ、自分の出番が終わったらすぐに新幹線でリンクにとんぼ返りするっていう感じでした」
「急な仕事が多いんですよね。『今日、Mステ出れる?』とか(笑)」。フィギュアスケートとジャニーズアイドルの両立はハードだった。でも、一度も苦にはならなかった。
「楽しかったです。大変だとは一度も思ったことがないかもしれない。僕はKinKi Kidsのバックにつかせてもらうことが多かったんですが、全国ツアーも回らせてもらったし。でも、スケートの先生には『ジャニーズの仕事があるんで、練習休みます』とは絶対言えなかった」