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オリンピックへの道BACK NUMBER
“高橋大輔の同期で元ジャニーズJr.”小林宏一が明かす「『SHOCK』に出たらすぐに新幹線でリンクに」多忙すぎた異色の両立生活
posted2022/05/28 11:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Yuki Suenaga
全日本ジュニア選手権で表彰台に上がり、世界ジュニア選手権にも出場。全日本選手権出場は8回を数える。
これだけのキャリアを積み上げるのと並行して、「ジャニーズJr.」としても活動を続け、紅白歌合戦のステージにも上がった。2009-2010シーズンをもって競技生活を退き、現在はプロフィギュアスケーターとして活動する小林宏一の経歴は、ひときわ特異な光を放つ。
「今だったら、絶対に無理ですよね」
小林は笑う。いや、当時であっても簡単ではなかったはずだ。
そもそも、異なる2つの世界で同時に生きることになったのはどのような経緯からだったのか。
「母がなんでも習わせた」スケートのために“19時に就寝”
全日本選手権で表彰台に上がったことのある祖父を持つ小林だが、スケートを始めたきっかけにその影響はあまりない。
「3歳のとき、品川プリンスホテルのスケートリンクの隣の体操教室に通っていて、その流れで、という感じです」
サッカー、水泳、ラグビー、スキー……母は小林になんでも習わせていたという。フィギュアスケートは、たまたまそこに加わっただけだった。自分から始めたわけでもない。楽しかった、という記憶もあまりない。
「好きかどうかも分からないうちからずっとやっていたので、知らぬ間に『人生の一部』になっていたというか……。むしろ記憶の中では、“フィギュアスケートに縛られていた”という感覚が強いですかね。
幼稚園くらいから新横浜のリンクに始発電車で朝練に行って、それからすぐに幼稚園や小学校に行って、終わったらすぐまた新横浜に戻ってっていう生活をしていたので。夜も朝練のために19時に寝かされていたんで、大好きなアニメの予告が見れないんです(笑)。当然、友達とも遊んだりできない」
母「サッカーも野球も競技人口が多いから、絶対に勝てない」
「やめたいと思うことはありました」とも語る。でもやめなかった。フィギュアスケートにそこまでこだわったのは、どんな思いからなのか。すると、「僕も分からない」と正直に語る。