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オリンピックへの道BACK NUMBER
“高橋大輔の同期で元ジャニーズJr.”小林宏一が明かす「『SHOCK』に出たらすぐに新幹線でリンクに」多忙すぎた異色の両立生活
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byYuki Suenaga
posted2022/05/28 11:00
全日本選手権に8回出場したフィギュアスケーターで元ジャニーズアイドル…異色の経歴を持つ小林宏一に話を聞いた
「ジャニーさんに『タイ公演があるからどうしても』と頼まれたことがあって。それも『いや、ちょっと東日本(選手権)があって』と断ったり……。今だったら、絶対に行ってるんですけどね!(笑)」
一度も楽しいと感じた記憶がないフィギュアスケート。それでも、自分の意志で華やかな芸能活動ではなくスケートを選んでいたのはなぜか。小林に聞くと、頭を傾げる。
「そうなんですよね。なんでなんでしょうね(笑)」
ついにジャニーズアイドルとしての活動に終止符を打つことになったのも、自らフィギュアスケートを選択した結果だった。
「ジャニーズに全振りしていたかもしれないですね」
「最後の仕事になったのは22歳、大学4年生のカウントダウンコンサートですね。その後すぐにタッキー&翼のコンサートに出てほしいと言われて。それを断ってから仕事のオファーは来なくなりました。ちょうどインカレがあったんです。今だったら絶対出てない(笑)」
そして付け加えた。
「今でも自分の決断に後悔はしてないです。でも今、同じ選択肢を与えられたなら、ジャニーズに全振りしていたかもしれないですね。まあ、そもそも(競技と芸能活動の両立は)あの時代だからできたことだとは思います。今の男子のレベルなら絶対に無理ですね」
ジャニーズの活動に魅力を感じつつ、フィギュアスケートから離れなかった。それでも、離れなかったからこそ、今の小林が体感し、抱く思いがある。
それは高橋大輔、羽生結弦、宇野昌磨らがトップスケーターとして活動できるに至った根本の理由であり、日本のフィギュアスケートの行く末だった。
撮影=末永裕樹
〈後編に続く〉
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