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オリンピックへの道BACK NUMBER
“高橋大輔の同期で元ジャニーズJr.”小林宏一が明かす「『SHOCK』に出たらすぐに新幹線でリンクに」多忙すぎた異色の両立生活
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byYuki Suenaga
posted2022/05/28 11:00
全日本選手権に8回出場したフィギュアスケーターで元ジャニーズアイドル…異色の経歴を持つ小林宏一に話を聞いた
ジャニーズJr.としての芸能活動を楽しみながら、それでも軸足をフィギュアスケートに置き続けたのは、「スケートが生活の一部」であったのに加えて、別の要因があった。
「先生が怖かったんですよね(笑)」
当時、小林が指導を受けていたのは佐藤信夫、久美子夫妻だ。近年だけ見ても、村主章枝、中野友加里、小塚崇彦、安藤美姫、浅田真央などのトップ選手らの育成や指導にあたってきた、フィギュアスケート界で知らぬ者はいない重鎮である。
「どうしてもリンクの貸し切り練習と被るときには『ちょっと予定があるので』『ちょっとお腹が』『ちょっと耳が』みたいなことも言ったりしました。間違ってもジャニーズが、とは言わない(笑)」
とはいえ、隠し続けていたジャニーズの活動は思わぬ形でバレてしまう。
アイドル活動がコーチにバレた日「紅白に出てたでしょ?」
2000年12月31日のことだ。中学3年生になっていた小林はTOKIOのバックダンサーにつくために、やむを得ずに練習を休んだ。
しかし、年明けにいつも通り練習に向かうと、久美子先生に叱られた。
「練習来ないで紅白に出てたでしょ?」
小林が出演していたのは、あの国民的番組の紅白歌合戦。Mステに出ていても気づかない先生でも、さすがに紅白でTOKIOの後ろで踊っている小林に気づいてしまったのだ。
「必死に『あれは収録なんです』ってあれこれ言い訳したんですけど、『何言ってるの、あれは生放送でしょ?!』と(笑)。たくさん怒られましたね。信夫先生はそもそも『ジャニーズ? それなんだ?』って感じでよく分かっていなかったみたいです」
ただ、ここで名コーチが小林を見放さなかったのは、それでも「練習は極力、休まなかった」姿勢が伝わっていたからだろう。
スケート仲間は「絶対ジャニーズ行った方がいいでしょ」
こうしてスケートの猛練習と忙しい芸能活動をなんとか上手く両立していた小林だったが、周囲からは羨望のまなざしで見られることが多かった。
「スケートの仲間には『絶対ジャニーズ行った方がいいでしょ』と言われていたけど、ジャニーズの仲間には『絶対スケートの方がよくない?』って言われてましたね(笑)。でも両立するうちに、自分の中で、どこか中途半端になっちゃったなというか、『スケートがだめでも、ジャニーズあるしなとか、別にジャニーズで頑張らなくても本業はスケートだから』って言い訳できるようになってて……」
それでも、いつも最終的に選ぶのは変わらず「フィギュアスケート」だった。