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佐々木朗希が投げなかった最後の夏「聞きたかったんですけど…やめました」“仲間”と“怪物”の狭間で揺れた大船渡ナインの本音
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byAsami Enomoto
posted2022/04/24 06:00
2019年夏、岩手大会の決勝で登板を回避した大船渡・佐々木朗希。1年後、当時の仲間たちが語った“本音”とは?
今野聡太は盛岡大学1年生だ。やはり野球はやめた。あの決勝のことで記憶にあるのは、泣こうにも涙が出なかったことだ。
3番ファースト。だが4回戦で送球に飛びついた代償として右足肉離れ。それからは裏方にまわり、ベンチで声を出し続けた。
「チームメイトが『お前を甲子園に連れていくから、それまでに治せ』と言ってくれていたので、それを信じていました」
だが、決勝戦のベンチはどこかぽっかりと穴が空いたようだった。佐々木が試合中じっと思いつめるように座っていた。
「監督と何か話し合ったんだろうなという雰囲気でした。でも、僕としては最後の試合なのに勝ちにいってるのかな? と感じました。故障を避けて朗希を投げさせないにしても、なぜ2番手の(和田)吟太だったり(大和田)健人が投げないんだろうと……。彼らは監督に言われなくてもブルペンで準備していたのに……。だから泣くに泣けないというか、不完全燃焼でした」
佐々木という才能を壊さないため――
監督の國保陽平は3年生が卒業する前、自身の決断について説明したという。
『佐々木という才能を壊さないため、大人である自分が独断で責任を負った』。それは及川も今野もわかっていた。わかっていてなお、淀みは残った。だからなのか、今野はドラフトで佐々木がロッテに1位指名された時も、複雑な思いを抱えたままだった。
「ほかの部員たちは快く送り出そう、という雰囲気でしたけど、自分はあの決勝のことをまだ引きずっていました」
佐々木とは小学4年からの付き合いで、誕生日は1日違い。今野がクリーンアップを打てるようになったのも、佐々木が打撃のアドバイスをくれたからだった。
つまり今野も、仲間だった彼が戦いの最中に突然、令和の怪物として遠くにいってしまったことを受け入れられなかった。