マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
「暴力団、殺し、誘拐…ヌード以外、何でも撮りました」80歳現役カメラマンは何を目撃してきた?「私、長嶋さんの立教大時代も見たんです」
posted2022/04/13 17:01
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
KYODO
「私ね……立教の学生の時の長嶋茂雄選手のユニフォーム姿、見てるんですよ、神宮で。中学生でしたけどね、私」
ええっ!と驚いて、パパッと頭の中でそろばん弾いたら、うわっ!もう80近いんじゃないか。
それで、真夏の甲子園や、炎天下の神宮で、あの重たいカメラかついで、一塁側と三塁側のカメラマン席を、何度も行ったり来たり。
「鶴のような痩身」という言葉があるが、まさに、カメラを支える一脚のような細い体でスタンドを行き来する白髪のカメラマンを、球場でご覧になったことのある方もいらっしゃるんじゃないだろうか?
「立教の長嶋茂雄」の話を聞いたのは4、5年前だった。つい先日、おいくつになられたのでしょうか?と、あらためてうかがった時の、
「80ですよ!」
と即答された言葉の張りと真っすぐな笑顔が、とてもじゃないが「80」ではなかった。
「木に登って、長嶋さんの部屋のぞいたり」
今年80歳で、現役のカメラマン・大友良行。
春にアマチュア野球の現場が開けば、雑誌社、新聞社の求めに応じて、甲子園や神宮はもとより、全国どこへでも、被写体となる選手たちを追って、足を運ぶ。
1年で現場に足を運ぶ日数およそ150日。年間およそ450試合の野球の現場から、アマチュア野球選手たちの画像をメディアに送信する第一線のカメラマンである。
「長嶋さんは背が高くてスラッとしてるから、立教のストライプのユニフォーム姿がかっこよくてね。三遊間のゴロを横っ飛びでさばいて、一塁にランニングスローでピュッて。しびれましたよ、後光がさしてたな。あの頃、カメラマンだったらね……写真、撮りたかったな」
憧れの的を語る時、人は皆、少年、少女の顔に戻る。
「母親の知り合いに立教のOBがいて、長嶋さんが巨人に入った頃に、紹介してもらって、野沢(東京)の下宿に会いに行ったこともありますよ。一緒に写真撮ってもらってね」
長嶋選手の立教時代には、当時、東長崎(東京)にあったグラウンドにも出入りしていたという。
「寮の横の木に登って、長嶋さんの部屋のぞいたり。ガラッと窓が開いて、『危ないよ!』なんて怒られて、それがまた、嬉しくて……」
のんびりとした、いい時代だったという。
「暴力団の抗争、殺し、誘拐…ヌード以外、なんでも撮りました」
今年で、プロカメラマンとして55年目を迎えた大友さん。
都立駒場高の頃はバリバリの高校球児だった。
都立高の中ではトップクラスの強豪だった駒場高で、入学直後から2番・センターに抜擢されるほどの腕前を持ちながら、不可解な起用法を監督に質した途端、「それっきり」になってしまった高校時代。