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《皐月賞に進撃》オニャンコポンの才能を瞬時に見抜いた菅原明良の“不思議な感性”とは?「オニャンコに巡り会えたことが幸せ」
text by
田井秀一(スポーツニッポン)Shuichi Tai
photograph byKiichi Matsumoto
posted2022/04/16 17:00
デビュー以来、常にコンビを組んできた菅原明良騎手とオニャンコポン。父エイシンフラッシュと同じローテーション、さらに同じ11番枠で皐月賞に挑む
「意味を知れば知るほどいい名前ですね。ファンの方が名前を聞いてパッと馬が思い浮かびますから。厩舎でも“オニャンコ”や“ポン”と親しまれていますよ」
育成は順調に進んだが、目立っていたわけでもなかった。父は黒光る馬体で希代のグッドルッキングホースとして人気を博したが、その面影はない。
「馬体も馬相も毛色も全然違う。初めて美浦に来た時も、どこさの田舎から出てきたの? という感じでおっとりしていました」
小島を驚かせたのは2歳の夏。デビューへ向けて調教が本格化してからだった。
「ウッドコースの大外を通る調教では、5ハロンで約70秒のタイムが基準。それなのに、無理しなくても67秒台で走りました。古馬でもなかなか出ない時計です」
「大丈夫です。いい馬なのは分かりました!」
そして、運命の出会いが訪れる。9月の初陣を前に、初めて菅原明良騎手がその背にまたがった。菅原は3年目の昨年に関東で最多の年間860鞍に騎乗した売り出し中のホープだ。特別な感覚に襲われたオニャンコポンとの初コンタクトを振り返る。
「2歳にしては体幹がしっかりしていました。多くの馬に乗せていただいた経験から、この馬は走りそうだぞ、と。体が柔らかくて乗り心地がいい。乗っていて気持ちいいんです。そういう馬は多くありません」
追い切り(速いタイムを出す調教)に騎乗せずとも、軽く走らせただけで菅原はその才能を感じ取った。小島は当時の会話を鮮明に覚えている。
「調教から戻ってくるなり、『大丈夫です。いい馬なのは分かりました!』って。こっちは本当かよ? って半信半疑ですよね(笑)。でも、調整はうまくいっていたし、僕自身もひっそり期待していました」