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なぜ日本人はNBAに夢中になったのか? “仕掛け人”が語る「満員のジャパンゲーム」と田臥&渡邊が魅了されたスーパースターたち
posted2022/02/28 11:00
text by
宮地陽子Yoko Miyaji
photograph by
NBA/Getty Images
今シーズンで創設75周年を迎えたNBAと日本との縁は意外と長く、始まりはリーグ創設2シーズン目に遡る。
1947年、日系アメリカ人のワット・ミサカがニューヨーク・ニックスにドラフト指名され、3試合に出場した。その後、1981年には8巡目で岡山恭崇がゴールデンステイト・ウォリアーズに指名された。ただ、当時はプロになるとオリンピックに出られない時代でもあり、岡山はウォリアーズのトレーニングキャンプに参加することはなかった。
そんな細い糸で繋がっていたNBAと日本の縁が、太く、強い繋がりになってきたのはここ30年ぐらいのこと。10年ごとに大きな出来事があり、そのたびに関係は深まってきた。
1990年代にはNHK BSでの試合中継が始まり、ドリームチームやマイケル・ジョーダン人気もあって日本にNBAカルチャーが浸透していった。日本で定期的にジャパンゲームが開催されるようになったのもこの時期からだ。
2000年代には、田臥勇太がフェニックス・サンズ入り。多くの人が夢見ていた日本人NBA選手が誕生したことで、NBAと日本の距離が一気に縮まった。
そして、2010年代には渡邊雄太と八村塁がNBA入りし、今では2人の日本人選手が同時にNBAでプレーしている。この30年の間に距離が縮まったNBAと日本。75年の節目の年に、当事者たちに話を聞いてみた。
「おもちゃ箱の中にNBAがあった」
NBAとの出会いについて、加藤誠は「おもちゃ箱の中にNBAがあった」と表現した。
1988年、当時加藤が勤めていた伊藤忠商事が海外のソフトビジネスに乗り出したとき、アメリカの専門弁護士と包括契約を交わした。その中に、映画など様々な権利とともに、NBA関連の権利が含まれていたのだ。
「我々も、海のものとも山のものともわからないソフトビジネスに一歩踏み出した時に、おもちゃ箱みたいなものをどんと渡されたんです。そしたら、その中にNBAがありました」(加藤)
NBAに関連する権利は大きく3つ。放映権、マーチャンダイズ権、そして日本での試合開催権。NBAを広めるには、まず、試合を見てもらうことが大事だと考えた加藤は、1990年に日本でNBA開幕戦を開催することを決め、その準備を進める一方で、テレビ中継にも力を入れた。
タイミングのいいことに、1989年にはNHK BSの本放送がスタート。前年の試験放送の段階からNBAをはじめ、アメリカの四大メジャースポーツが全国放送されていた。まだBS放送自体の認知度が低かったなかで、最も幅広い視聴者から反応が返ってきたのがNBAだったという。