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なぜ日本人はNBAに夢中になったのか? “仕掛け人”が語る「満員のジャパンゲーム」と田臥&渡邊が魅了されたスーパースターたち
text by
宮地陽子Yoko Miyaji
photograph byNBA/Getty Images
posted2022/02/28 11:00
東京ドームで開催された1996年のNBAジャパンゲーム
加藤が「おもちゃ箱」の中にNBAを見つけた頃、ミニバスを始めたばかりの少年だった田臥勇太は、父が録画していたビデオテープに憧れの世界を見つけた。テレビ東京で放送されたシカゴでのNBAオールスターゲーム(88年2月)やロサンゼルス・レイカーズ対デトロイト・ピストンズのNBAファイナル(88年6月)を見て、たちまち引き込まれたのだ。
「どんなプレーをしてくれるんだろうとか、こんなことができるのかっていうワクワク感と驚きで衝撃だったのをすごく覚えています。プレーはもちろん、会場の雰囲気や熱狂する感じ。ああいう派手なユニフォームやバッシュとかも見たことがなかった。短パンは短かったですけれど(笑)、日本では見ないスタイルだったので、一瞬ではまりました」
バスケットボールを始めたばかりの頃にNBAを見たことは、田臥のプレースタイルにも大きな影響を与えた。最初に好きになったのはマジック・ジョンソン。トレードマークのノールックパスなどを真似していた。
「今思うと最初に惹かれたのがNBAでよかった。プレーするのも好きだし、真似するのも大好きだったから、最初からNBA(という手本)があったっていうのは、大きかったなと思います」
まもなくNHK BSでの中継が始まったことで、さらにNBAに夢中になった。毎週、新しい試合が放送されることで、多くの試合を見ることができるようになり、好きな選手も増えていった。ドリームチームの影響もあり、NBA人気があっと言う間に広がった時期だった。
「NHK BSになって毎週見れるようになった。ドリームチームはバスケットをやっていない人までも巻き込んで社会現象になって、NBAの人気のすごさを改めて知ることができました」
テレビ中継があったからこそNBAにはまり、バスケットボールに夢中になり、後にNBAを目指そうと思うようになった。田臥の人生はNBA中継を見たことによって大きく動いた。
サンズの時間は「一生の財産です」
2004年にフェニックス・サンズの開幕ロスター入りした田臥は、11月3日(日本時間4日)のアトランタ・ホークス戦で初めてNBAの公式戦に出場した。
「ユニフォームをもらえたとき。アップしているとき。(ベンチで)名前呼ばれたとき。試合でシュート入れたことより、そういった一瞬一瞬を鮮明に覚えています」
実際に入ったNBAは、子供の頃から想像していた通りに、ワクワクする世界だった。
「バスケットをプレーすることはもちろんですけれど、毎日が刺激的だし、非常に濃い日々で、チャレンジだった。世界最高峰と言われるだけのことはある場所でしたね」
もっとも、当時はロスターに残るために結果を残すことに必死で、夢の舞台にいるという感慨に浸る暇はなかった。それでも──いや、だからこそ、サンズに所属していた1カ月半は今になっても財産だと言う。
「1日でも長くいたかったなっていうのは思います。でも(NBAに入って)いろんな世界を見られて、いろんな経験ができたことは一生の財産です」