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なぜ日本人はNBAに夢中になったのか? “仕掛け人”が語る「満員のジャパンゲーム」と田臥&渡邊が魅了されたスーパースターたち
text by
宮地陽子Yoko Miyaji
photograph byNBA/Getty Images
posted2022/02/28 11:00
東京ドームで開催された1996年のNBAジャパンゲーム
渡邊がNBAに入った翌年に、八村塁がドラフト1巡目で指名されてワシントン・ウィザーズ入り。NBAに日本人選手が同時に2人いるという、少し前までは想像すらしなかったことが現実になった。そして、日本とNBAの距離はさらに縮まった。
「縮まったように感じますね。より多くの人がNBAを見るようになったんじゃないかなって思いますし、より身近に感じられるようになったなと思います」(渡邊)
もちろん今でもNBAの壁は険しく、簡単にたどり着ける世界ではないことには変わりない。渡邊も八村も、持って生まれた才能や身体能力だけでなく、多くの努力をした結果、ここまでたどり着いた。
それでも、渡邊が田臥のNBAデビューを見て勇気づけられたように、今、渡邊や八村のプレーを見て憧れ、NBAを夢見て努力する少年たちが日本中にいる。その中から、将来NBAのユニフォームを着る選手も出てくるかもしれない。
自分がNBA入りしたときには自分のことに必死で、日本にどんな影響を与えていたのかまでは考えも及ばなかったという田臥だが、渡邊と八村がNBAでプレーしていることに日本中で盛り上がるのを見て、改めて日本人選手がNBAにいることの歴史的意義を感じるようになったという。
「彼らがドラフトされたり、ロスターに入ったり頑張ったりすることで、これだけ日本人の方に勇気を与えたり、感動を与えたり、子どもたちに夢や希望を与えてくれているんだなっていうのを、日本にいてすごく感じます」
100周年を迎える25年後はどんな未来に?
渡邊は、日本の子供たちには自分たちを通してNBAを感じ、楽しんでほしいと語る。
「今、こうやって僕とか塁がプレーしているっていうのを、本当に楽しんで見ていただけたらなって思います。その分、僕らももっともっと頑張っていかなきゃいけないんですけれど。こういう、今の状況を楽しんで、また応援してもらえたらなって思っています」
30年前には週に4試合を見られるだけでも画期的だったのが、今ではNBA Rakutenによるリーグパスで全試合を見ることができるようになった。一時期中断していたジャパンゲームも2019年に再び開催された。それらはすべて、おもちゃ箱のなかに埋もれていたNBAの魅力に取りつかれた人たちがいたことから始まった。加藤が携わったNBA中継を見て田臥や渡邊がNBAを夢見るようになり、田臥のNBA入りを見た渡邊は日本人でもNBAでプレーできると勇気づけられた。それぞれ独立した出来事のように見えても、どこかで歴史は繋がり、次世代へと受け継がれている。
25年後、NBAが創設100周年を迎えたときに、日本の選手やファンにとってNBAはどんな世界になっているのだろうか? 渡邊にそう問いかけると、25年後を想像しながら、次世代への期待を語った。
「25年後だと僕はNBAにもいないでしょうし、バスケもやっていないけれど、その25年の間にたくさんの日本人がNBAのコートに立って、日本代表選手は全員NBA選手ぐらいになっていきたいですね」