情熱のセカンドキャリアBACK NUMBER
《JFLでもJ1でもいつもそこにいた》松本山雅のレジェンド・飯田真輝36歳がクラブに帰ってきた! 違和感を覚えた“サポーターと選手の距離”とは
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJ.LEAGUE
posted2022/02/24 11:01
2010年8月から2019年12月まで松本山雅の中心選手として活躍した飯田。今年2月1日にクラブの「Community Bond Builder」に就任した
センターバックに特化した育成にも関わる
1つめは地域の人々、ファン、サポーターとのコミュニケーション、2つめはサッカーの普及活動、そしてもう1つはセンターバックに特化した育成。簡単に言えばファン、サポーターとクラブの“つなぎ役”と、選手目線での育成アドバイザーの両立である。
飯田は言う。
「僕はもうプロサッカー選手としてステージに立つことはありません。ただサッカーができるコンディションを整えているので、ユースなどの練習に僕が入ることはできるし、いろいろと有益に使ってもらえると思うんです。まだ自分はプレーヤーだと思っていますから」
毎朝6時に起きてトレーニングジムで汗を流す現役時代の日常は変わらない。指導者というよりも、イメージとしては選手目線でアドバイスを送るような立場。アカデミーのみならず、地域の学校、クラブから声が掛かれば出張参加もやっていくつもりだ。プレーそのもので現役に近い「元プロ」を感じてもらえれば、成長のヒントにつながるはずと考えている。
松田直樹のようなスケールの大きい選手を育てる
次世代のセンターバックを育てたいという思いも強い。松本山雅のJFL時代に飯田が大きな影響を受けた松田直樹のようなスケールの大きい、闘争心に溢れた選手を育てていくことを目標にしている。
奈良でプレーした昨シーズン、引退のことはずっと頭にあった。
プレーをやりつつ、午後はスクールの小学生を教えてミーティングにも参加。トップチームもアカデミーもスペイン人指導者がそれぞれトップを務め、指導者の勉強を本格的に始めていた。
「スクールで教えることができたのは貴重な経験でした。自分のなかでサッカーを整理できるようにもなった。一方で週末の試合に向けて(選手として)もっと負荷を掛けていく必要があるところで、(スクールの仕事によって)なかなか難しい、と。JFLではほかに仕事をこなしながらサッカーをしている選手も少なくありません。選手としての在り方は人それぞれ。ただ週末の試合に向けてどれだけの自分を持っていけるかという作業をこれまでやってきた以上、僕が思うプロサッカー選手ではもはやないんだなと思うと、このステージからはもう降りたほうがいいと考えるようになったんです」