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「俺を使う監督が一番大変だと思うよ」55歳三浦知良が兄ヤスへ伝えたことは? “覚悟”を持って臨む《JFL鈴鹿での最終章》

posted2022/02/26 06:00

 
「俺を使う監督が一番大変だと思うよ」55歳三浦知良が兄ヤスへ伝えたことは? “覚悟”を持って臨む《JFL鈴鹿での最終章》<Number Web> photograph by Megumi Seki

昨シーズンは出場時間1分に終わったが、それでも「情熱が消えることは一度もなかった」と語った三浦知良。55歳で臨む新シーズンへの覚悟とは?

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一志治夫

一志治夫Haruo Isshi

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Megumi Seki

17年ぶりに活躍の場を新天地に求めた三浦知良。2月26日に55歳を迎えたキングが移籍の経緯と覚悟を語った、Sports Graphic Number1045号(2022年2月3日発売)『最新インタビュー 三浦知良「ジョガドールの宿命」』を全文掲載します(肩書きなどはすべて発売時のママ)

「もう横浜FCにいても出場チャンスはないなと思った。残留のためにはチームで必要な選手だったかもしれないけど、ピッチで勝つための戦力とはみなされていないということがシーズンの途中でわかったから。出場できる可能性は、横浜FCでは監督が替わろうがなんだろうが、もうないなと判断したわけです。それじゃあ、いくら戦力だと言われ続けていても、意味がないな、と。であれば、環境を変えて、自分を試合に使いたいというところに行ったほうがいいな、と思ったんです」

 2005年夏、ヴィッセル神戸から出場機会を求めてJ2横浜FCへと電撃移籍したカズは、約16年在籍したチームを離れ、今季、JFL鈴鹿ポイントゲッターズへのレンタル移籍を決断した。兄である三浦泰年が監督を務めるチームだ。移籍を望むカズに対しては、実に9チームが獲得に名乗りを上げた。55歳を迎えんとするプレーヤーだが、そのニーズが変わらず高いことを証明する形となった。

「使われる可能性」はどれぐらいあるのか

「全チームのプレゼンを自分で受けて、いくつかのチームで迷いました。プレゼンを受けるたびに、それが新鮮でよく見えるんですよ。でも、3日間ぐらい何も考えずに過ごすと、少し醒めてまた公平に見えてくるようになる。その結果、この街に住んでみたいな、練習はこうしてやってとイメージがわくチームが最終的には3つぐらい残りました。

 でも、冷静になって、去年、俺が横浜FCにいて一番悔しかったことを思い出して、重要なことは何かと考えると、やっぱり監督であり、継続して試合に出場できるということだった。家族とか、住む環境とか、そういうことは除外して、サッカーが一番できるのはどこか、使われる可能性はどれぐらいあるのかを考えて、それを最も感じた鈴鹿に決めました。

 中には、全試合出てほしいというチームもあったし、海外のチームからも打診されたけど、これからチームを強くして、一緒につくっていく、成長していくというチームのほうがいいと思った。村おこしじゃないけど、その点もすごく大事でした」

 限界説も流れる中、試合出場と得点に飢えたキングは、昨シーズンをどう過ごしてきたのか。

「まあ、正直言って、どんな状況になってもやることは変わらなかった。チームの練習以外にも、ルーティーンで、筋トレや体幹、補強作業は毎日やりましたし、練習の準備段階で、足首のチューブトレーニング、腿裏のエクステンションのトレーニングも欠かさなかった。それらはもちろん、試合に出るため、サッカーをやるためのトレーニングだったわけです。試合に出す出さないは、監督が決めることで、その部分では毎回悔しい思いがありました。でも、サッカーをやるための準備のところでは毎日集中して、怠らずにやれたということは、プロフェッショナルとしては全うしたと思う。

 ただ結局は試合に出られなかったから、よかったとは言えないけど、一番よくないのは、自分の精神を乱したり、やる気をなくしたり、試合に出るためのルーティーンを崩したりすること。そこはもう、毎日、強いメンタルで乗り越えていたから、今年があり、いまがあると思うんですけどね」

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