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「俺を使う監督が一番大変だと思うよ」55歳三浦知良が兄ヤスへ伝えたことは? “覚悟”を持って臨む《JFL鈴鹿での最終章》 

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一志治夫

一志治夫Haruo Isshi

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photograph byMegumi Seki

posted2022/02/26 06:00

「俺を使う監督が一番大変だと思うよ」55歳三浦知良が兄ヤスへ伝えたことは? “覚悟”を持って臨む《JFL鈴鹿での最終章》<Number Web> photograph by Megumi Seki

昨シーズンは出場時間1分に終わったが、それでも「情熱が消えることは一度もなかった」と語った三浦知良。55歳で臨む新シーズンへの覚悟とは?

 一方、この5年間の数字は、カズの置かれている厳しい現実をなによりも如実に物語ってもいる。出場したのは、17年12試合、18年9試合、19年3試合、20年4試合、21年1試合。去年の1試合にいたっては、出場時間はわずか1分だった。17年を最後に得点もない。

 カズはかつて、試合に出ることで自身のコンディションを整えていくと話していた。が、試合、調整、練習というリズムでシーズンを送ることからも離れて久しい。

「練習をやってても、常に試合をやっていかないとコンディションが上がっていかないのは間違いない。試合に出ることなく、コンディションを維持するのはものすごく大変なことですよ。試合に出なければ、自分の状態が本当にわからないので。悔しさをぶつけつつエネルギーはもうひたすら練習に向けていくしかないわけです。だから、そんな姿を見ている人、あるいは一緒にやっている選手たちは、驚くわけです。よくできるな、と(笑)。

 だけど、自分は練習だけやっているつもりはなかったですよ。試合に出るためにすべてやっているわけだから。それを放棄しているつもりはまったくなかった。監督からも『今週の練習は本当によかった』と言われたこともあったし、実際、春先はチャンスがきたら1点決めてやると思えるくらい調子がよかったですから。

 毎回が気持ちの切り替えの連続でした。次の試合に向けて力を、と思ってやって、出られず、また力を溜めて、と。でも、ずっとケガをして休んでいた選手がちょっと練習に参加しただけでベンチに入って、自分はまったく入れないということがあったりするとものすごく悔しいし、抑えきれない感情って出てきますよね。まあ、それがジョガドール(サッカー選手)の宿命と思ってたし、情熱が消えることは一度たりともなかった」

8月に5試合連続ベンチ入り、出場はなし

 昨季、横浜FCは、J1残留を目指す戦いを続けていた。シーズン途中には下平隆宏から早川知伸へと監督も交代。最後までカズがピッチに立って存分にプレーするチャンスは巡ってこなかった。

「でも、降格が決まる前も決まったあとも、チャンスが来たら出よう、出て1点でも決めて、風向きを変えてやる、それで勝利すれば必ず次もチャンスが回ってくるという気持ちで最後の最後までやってました。特に去年の最終戦は、消化試合だからというわけではなくて、個人的には出場できるんじゃないかな、と思ってたし、どうしても出たかった。いろんな理由で。でも、監督は、そういうパフォーマンスではないと判断したわけです。実力不足であり、戦力ではないという10月ぐらいから思っていたことがやはり最後の最後にはっきりと突きつけられたわけです。

 8月には5試合連続でベンチに入っていたんですけど、あの場面で使われないんだったら、もう使う場面はないんじゃないかと思ったこともあった。横浜FCでは、オーナーもスポンサーもサポーターもみんな出場してほしいと思っていた。監督でさえ、『カズさんのゴールが見たい』って言ってたんだから。でも使ってもらえない。監督もチームの状況によって、だんだん余裕がなくなってきて、プレッシャーもすごくあっただろうし、監督という立場と、本当に俺に点をとってもらいたいという思いと両方あったと思うんですけどね。プロとしては、最後まで移籍とか考えずに、プレーするのがベストだし、グラウンドでは集中するけど、同時に次のことも考えながらやらなければいけないところもあるわけです。だから、その頃から移籍は考えてましたよ」

【次ページ】 兄に伝えた「ダメだったらダメと言ってほしい」

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