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11年J2にいた京都サンガをわずか1年でJ1へ…曺貴裁監督が明かす“チームが激変した瞬間”「昇格させてやりたいなと強く思った」
posted2022/02/25 17:02
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
KYODO
長年、J2で戦っていると、目標はJ1昇格でも実際はなかなか抜けきれないままどっぷりとそのステージに浸かってしまうことも多い。降格してきたクラブが1年での復帰を目標にするのは、時間が経過すればするほど反発力が弱まり、J1に戻る難しさを理解しているからだ。
だが、曺は、12年ぶりにその呪縛を解いた。そこには、湘南時代とは違う「怒らない指導法」があった。快進撃を指揮した曺監督に“京都サンガの1年とこれから”を聞いた(全3回の3回目/#1、#2から続く)。
選手たちに伝えた素直な思い「失敗を恐れないでほしい」
「流通経済大では、常に考えながら指導をしてきました。失敗から目を背けてはいけない。何を学んで、どう立ち上がっていくのか……。その中で、指導者の役割を改めて学べたし、選手の心にしみる、周囲に無理強いをしない指導の必要性も実感しました」
1年4カ月の謹慎期間を経て、曺は自身の故郷のクラブチーム・京都サンガF.Cの監督に就任した。まず選手たちに伝えたのは、「失敗を恐れないでほしい」という言葉だったという。
「京都に来た時、選手にはまず『自分は失敗した人間だ。みんながトライして、失敗したことを怒ったり、咎めたりはしない。ただ、自分が意図したことをやろうとしない、向かおうとしない時は話をする。みんな、失敗を恐れないでプレーしてほしい』と伝えました」
曺といえば、これまでもミーティングでの熱い話がよく取り上げられてきた。しかし、京都ではそういう話をする機会も減らした。ピッチ上のことはピッチ上で解決し、その代わり練習ではポジショニングやプレスの掛け方など何度も同じことを重ねて繰り返す。そうすることで、試合中でも自然と身体が状況に対応して動けるようになるからだ。「シーズンの後半はそれでもミーティングの回数が増えてしまった」と苦笑するが、戦術的な消化が早かったのはそうした練習に徹したからだろう。
曺には、もうひとつ、大事な目標があった。
「野心のある選手がこのクラブに来たいと思えるように」
「僕が来たときには、京都のサッカーはこれだ、というものがはっきり見えてなかったように思えました。だからこそ、ファンやサポーターに受け入れられる“明らかに変わった”と思われるチームを作っていきたかった。欧州でサッカーを見て、流経大でチャレンジして、自分の中でサッカーはこうだなって思うものがあったので、そこにできるだけ近づいていきたいな、と。
でもただ勝てばいいとかではなく、目指すのは野心のある選手がこのクラブに来たいと思えるようなスタイル。そして、それを根付かせること。それをやり切る覚悟で京都に来ました」
ただ、最初からうまくいったわけではない。