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引退・小平奈緒「101%に挑戦することで…」「9割ぐらいの成功ならそれで良し」稀代のスケーターから学びたい自己肯定力
posted2022/04/13 06:00
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph by
Shunsuke Mizukami
最速の滑りで氷上にさわやかな風を吹かせた2018年平昌五輪から2年が過ぎた。小平奈緒が鍛錬を重ねる毎日は、“ウイズコロナ”の世の中となった今も基本的には変わらない。拠点は地元の長野。密を避けるなどの対策を施しながらオフのトレーニングに励んでいる小平を、オンラインで取材した。画面越しに見える表情には、いつも通りの、しなやかで凜としたたたずまいが漂っていた。
まずは現在の心境を尋ねた。緊急事態宣言解除後は練習の制限も緩和され、国際大会の来季日程も発表されている。だが、現実的にはハッキリとした見通しは立っていない。そのような状況で、小平はどのような思いを巡らせているのか。
「そもそも私がスポーツに取り組むうえで大切にしているのは、大会での結果だけではありません。日々のトレーニングの中でスポーツが上達するところに面白さを感じているので、大会という場がなくなったとしても、今のところは心にぽっかり穴が開いてしまうということはないですね」
自分自身の心への向き合い方が……
落ち着いた口調に、どっしりと現状を受け容れる心の度量がにじみ出ている。振り返れば平昌五輪では、日本選手団の主将として重圧が懸かっている中でも、実力を存分に発揮する精神力を見せていた。しかし、「意識的にメンタルを鍛えたことはありません」と小平は言う。
「'14年にオランダに行ったことが契機となって、日本の固定観念の中で生活していた時には気づかなかったものに気づくことができたのが大きいと思います。自分自身の心への向き合い方がオランダに行く前と後で変わりました」
スケートが盛んな長野に生まれた小平は、社会人1年目だった'10年2月にバンクーバー五輪に初出場して個人2種目で5位入賞、女子チームパシュートで銀メダルを手にした。ところが、メダル候補と目されて挑んだ'14年ソチ五輪では表彰台に届かず、涙に暮れた。
「あの頃の私は頑張りすぎていたというのか、頑張っているのを周りに見せるようにしていたというのか、弱い自分を周囲に見せることを避けるようにしていました」