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戦力外→2億円から80%ダウンの38歳「野球しかなかったんですよ、仕事が」 ラミレスは独立Lで500万円未満…年俸をめぐるプライド 

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posted2022/01/26 06:00

戦力外→2億円から80%ダウンの38歳「野球しかなかったんですよ、仕事が」 ラミレスは独立Lで500万円未満…年俸をめぐるプライド<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

群馬時代のラミレスに、苦労人の山本和範。年俸にまつわる話はプロ野球選手から切っても切れない

選手に不利な契約内容にも「結果を出せばいいんだろう」

<名言3>
こっちに来てから選手の価値が決まる。日本での結果は考えず、メジャーリーグで結果を出して前田健太という投手の評価を上げられればいい。
(前田健太/Number894号 2016年1月21日発売)

◇解説◇
 2016年1月、広島東洋カープからポスティングによってドジャースへの移籍を果たした前田だったが、その契約内容は異例とされた。

 契約期間こそ8年と長期だったものの、年俸は総額2400万ドル、年換算で300万ドルに抑えられ、その代わり単年で最大1000万ドルのインセンティブがつくというもの。

 球団側のリスクは低く、前田は将来的に故障や離脱した際には高額の年俸を得られないことになる、選手側に不利な契約だと言われた。ところが、前田本人は「結果を出せばいいんだろう、まあ見てろよ」と言わんばかりの余裕をみせていた。そしてメジャー1年目の成績はリーグ5位となる16勝11敗。インセンティブを合わせた年俸は1000万ドルを超えたという。

8割減の年俸でも「野球しかないもん」

<名言4>
野球しかなかったんですよ、仕事が。太陽が昇れば野球をやる。朝が来たらやらなきゃしょうがないでしょう。
(山本和範/Number388号 1996年3月14日発売)

◇解説◇
 今も昔も、プロ野球選手の年俸に悲哀はつきものだ。90年代に苦労人として知られた名バッターが「ドラ」の愛称と愛嬌あるキャラクターで名を馳せた山本だ。

 76年にドラフト5位で、近鉄に入団したものの、6年間で出場した一軍の試合は47試合、1本塁打、5打点という惨憺たるもので自由契約となった。一度は引退を決意したものの、バッティングセンターでアルバイトをしていると83年に南海ホークスに拾われ、再びプロの道へ。するとバットコントロールと長打力、強肩を武器に主力へと上り詰めた。

 そんな山本が再び自由契約となったのは95年オフのこと。シーズン中に負った右肩亜脱臼の影響で数字を残せず、2億円を超えていたという高年俸もネックとなったのだ。

 その後、山本は年俸80%ダウンの「4000万円+出来高払い」でダイエーから古巣・近鉄へと復帰した。「野球以外にやることがあればよかったんだけど、なんもないもん」と明るく言い放った38歳は1996年、打率.266、14本塁打43打点といぶし銀の働き。さらにはオールスターでもMVPを獲得するなど「中年の星」として再び輝きを放ったのだ。

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