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なぜ日本人初大リーガー、2000安打達成者や水島新司先生が野球殿堂入りしてないのか… 「一人でも多く表彰を」と願うワケ

posted2022/01/25 06:00

 
なぜ日本人初大リーガー、2000安打達成者や水島新司先生が野球殿堂入りしてないのか… 「一人でも多く表彰を」と願うワケ<Number Web> photograph by Kyodo News/Sports Graphic Number

プロで偉大な実績を残した谷沢健一、大島康徳、佐藤義則は殿堂入りしていない。ぜひ偉大な野球人を表彰してほしいものだ

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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 一昨年の春、筆者はある球場で、独立リーグの幹部から恰幅の良い年配の男性に引き合わされた。阪急ブレーブスなどで活躍した加藤英司さんだった。

 南海ファンだった筆者は、全盛期の加藤英の勝負強い打撃を本当に憎らしく思った。最晩年、南海に移籍した加藤英は、若手投手の速球をなかなかとらえられず、大阪球場の左翼席に何球も当たり損ねのファウルを放った。そんな話を加藤さんにすると「お前さんも相当の年齢じゃのう」と笑われた。

 数年前、宮崎の巨人春季キャンプの受付で、年頃で言えば70年配の長身の紳士が「どちら様でしょう」と止められているのを見かけた。日本人初のメジャーリーガー、マッシーこと村上雅則さんだった。若いスタッフは知らなかったのだが、周りの記者が「村上さんだよ」と口添えをしてパスを発行された。マッシーさんはにっこり笑って「帽子貰ってくね!」とGマークのキャンプ用キャップを被った。

 これも数年前、筆者はある雑誌に「高橋ユニオンズ」の歴史について書いたが、校了前に電話がかかってきた。ユニオンズOBの佐々木信也さんからだった。

「いいかい、君は高橋ユニオンズは大映スターズと合併した、と書いているけど、そうじゃないんだ。ユニオンズは1957年3月6日、岡山の球場で解散したんだ。このあたり、はっきりさせないと!」

 加藤英司も、村上雅則も、佐々木信也も、筆者が子どものころからテレビや新聞で名前を見聞きし、あこがれの気持ちを抱いてきた野球人だ。身近に接すれば、いい年をした今でも胸が高鳴る。そして3人ともに「日本プロ野球史」に鮮やかな歴史を刻んだ人たちだ。しかし残念なことに、3人とも野球殿堂入りしていない。

2000安打を放った選手もエントリー資格を失った

 それ以外にも、プロ野球史に残る多くの選手が殿堂入りしないままプレーヤー表彰のエントリー資格を失っている。

 2000安打以上の選手でいえば、土井正博、柴田勲、谷沢健一、前出の加藤英司、有藤通世、藤田平、新井宏昌、昨年鬼籍に入った大島康徳もその1人だ。

 投手は200勝以上では江夏豊だけだが、200勝未満で各チームのエースとして活躍した選手では、土橋正幸、足立光宏、佐藤義則、松岡弘などの一時代を作った投手が殿堂入りしていない。

 さらに言えば前出の村上雅則は、日本出身選手初のメジャーリーガーであり、野茂英雄のはるか前に日米の野球の違いを体現したパイオニアだった。佐々木信也は「プロ野球ニュース」という革新的なスポーツニュース番組のメインキャスターとして、プロ野球の魅力を全国に広げた。

 野球人だけではない。

【次ページ】 できる限り「存命中」に表彰してあげてほしい

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