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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「別れるか、芸能界を辞めるか」大河内志保50歳が明かす“結婚を決断した瞬間”「私が『野球以外のことをする新庄剛志』になろうって」
text by
河崎環Tamaki Kawasaki
photograph byIchisei Hiramatsu
posted2022/01/01 11:02
野球選手・新庄剛志を15年にわたって支え続けた大河内志保(50)
実際に、大河内は芸能界を辞めてすぐ、女子栄養大学の料理教室と調理師科に通い、みっちりと栄養や衛生管理などを学んで、調理師免許まで取得している。食が細く、食べ物の好き嫌いも多い新庄のために、出来合いは使わず、一から全て愛情を込めて手作りすることにこだわった。
芸能界を離れ、料理を学び、好き嫌いの多い新庄に合わせて献立を考えて……。その献身ぶりに思わず子育てみたいですね、と聞くと「たしかに、子育てに近かったかもしれない(笑)。今でも遠い血のつながらない息子、っていうのが一番近い感覚なんです。家から出ていったけど、達者で頑張ってるなあ、って。そういう感覚ですね」。
新庄劇場の“共同プロデューサー”でもあった
実は、新庄は大河内のことを冗談交じりに「志保コーチ」と呼ぶことがあったという。時に、野球の才能以上に、その言動が注目される新庄を客観的に見てアドバイスを伝えることがあったからだ。“新庄劇場”も、その一つ。マスコミを騒がせる新庄の奇抜な言動とド派手な演出は、熱狂的なファンを惹きつける魅力だが、一方で敵も生みかねない諸刃の剣だった。大河内は「新庄さんも若いときは無器用だったから」と微笑する。
「発想はいいんだけれど、あまりにも突拍子がなさすぎて、世間から総スカンを食らうような危険性も備えていたんですよね。そういうところを私が見ていて『そういう言い方じゃない方が良いんじゃない?』とか舵取りをしていったらいいかな、と」
あの新庄劇場は、二人のチームプレーの産物だったのか。大河内はいわば、新庄劇場の“共同プロデューサー”と言えるかもしれない。
「いやそんな、おこがましい(笑)。でもテレビに出た時とか、言動に関しては細かく言っていましたね。うるさいだろうけど、たとえ嫌われてもいいから、客観的に見て間違ってる、道から外れてるということは、命がけで注意し、説得して直そうと。好きだから嫌われないようにしよう、というのとは違いましたね」
こうして、片腕となって新庄を支えてきた大河内だが、長い同棲生活を経て、2000年に結婚する。新庄が不調を脱し、打率が2割8分に近づいた阪神最後の年、メジャー移籍の直前にようやく二人は結婚式を挙げるが、大河内は新庄のマネージャー役として渡米準備に疲れ果て、ウェディングドレスは痩せてガバガバだったという。
「未だにプロデューサー目線で見ちゃうんですよね」
まだお互い20代の若さで、自分のパートナーにそこまで尽くすのは並大抵のことではない。嫌われてもいいから意見を言うのも簡単なことではないはずだ。