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「別れるか、芸能界を辞めるか」大河内志保50歳が明かす“結婚を決断した瞬間”「私が『野球以外のことをする新庄剛志』になろうって」 

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河崎環

河崎環Tamaki Kawasaki

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photograph byIchisei Hiramatsu

posted2022/01/01 11:02

「別れるか、芸能界を辞めるか」大河内志保50歳が明かす“結婚を決断した瞬間”「私が『野球以外のことをする新庄剛志』になろうって」<Number Web> photograph by Ichisei Hiramatsu

野球選手・新庄剛志を15年にわたって支え続けた大河内志保(50)

「JALのキャンペーンガールもクラリオンガールも、選んでいただいたのは本当に偶然で。そもそも私は自分に究極に興味がない人間だったんです。でもそんな性格だから、新庄さんと上手くやっていけたのかもしれません(笑)」

新庄から出された選択肢「別れるか、芸能界をやめるか」

 新庄と出会ったのは1992年の11月のこと。初対面でも、地上波で放送されていた『プロ野球ニュース』でクラリオンのCMが流れていたためか、新庄は大河内を知っていたという。そこから新庄の猛プッシュで交際が始まるが、阪神のスター選手だった新庄のプライベートはすぐに人々の知るところとなり、交際中からマスコミに追いかけられ、自宅電話が盗聴されるほどの大騒ぎになってしまう。

 二人とも、21歳になるかならないか。「まだ世間なんてわかっていない年齢で、がむしゃらな二人でした。新庄さんも野球界の大人の組織の中で一生懸命頑張っていて、メジャーに行くなんて考えもせず、ひたすらレギュラーを維持するために努力していた頃です」。結婚を考えるにはまだ若く、「一人前になったら結婚しよう」と、“打率2割8分”をその具体的な目標に定めていたという。

 しかし球団史上最年少の4番打者となり、野球選手としてさらに上を目指す中、マスコミから追いかけられる日々は予想以上に苦しかった。ある日、「野球に集中できない」と困りきった新庄から「別れるか、芸能界をやめるか、どちらかにしてほしい」と切り出される。そして、大河内は、悩んだ末に、芸能界引退を決断する。

「『自分のもの』という感覚が一切なかった」

「私は基本的に、恋人の時も、結婚していた時も、新庄さんに対して『自分のもの』という感覚が一切なかったんですね。国の宝、国民的スポーツ選手のアシスタントをさせてもらっているだけという感覚しかありませんでした。

 だから(結婚を)決断した時も、彼の死角は全て私が埋める! ぐらいの覚悟で、プロのパートナーとして彼と一緒にがむしゃらに夢を追うことにしたんです。野球をする新庄剛志と2人で1人、私が『野球以外のことをする新庄剛志』になろう、って」

 “野球以外のことをする新庄剛志”とは、具体的にどんな存在だったのだろうか。大河内は「忙しい人って、“自分がふたりぐらいいたらいいのにな”って思うじゃないですか。まさにそんな感覚で、新庄さんがふたりいる、新庄さんの分身みたいな。彼は忙しいから、料理などの野球以外の面は全て私が片腕となって」と説明する。

【次ページ】 新庄劇場の“共同プロデューサー”でもあった

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