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新庄剛志と別れて15年「野球選手じゃなかったら今でも…」 大河内志保50歳が告白する“アスリート妻の重圧と責任”

posted2022/01/01 11:03

 
新庄剛志と別れて15年「野球選手じゃなかったら今でも…」 大河内志保50歳が告白する“アスリート妻の重圧と責任”<Number Web> photograph by Ichisei Hiramatsu

野球選手・新庄剛志を15年にわたって支え続けた大河内志保(50)

text by

河崎環

河崎環Tamaki Kawasaki

PROFILE

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Ichisei Hiramatsu

 昨年11月に古巣・北海道日本ハムファイターズの“BIGBOSS”こと監督に就任した異才・新庄剛志。現役時代と変わらぬ、ド派手な言動で野球界の注目を一身に受けている。現役時代からこれまで多くの逸話を残してきた新庄を語る上で、重要な人物が大河内志保だ。新庄剛志の現役時代を15年にわたり全身全霊で支えたパートナーだった。

 当時、二人で番組出演をするなど夫婦二人三脚の姿を見せてきた大河内と新庄はなぜ“別れ”を選んだのか。そして、当時を振り返って「未熟だった」と語る大河内が抱えていたアスリートの妻の重圧と責任感とは(全2回の2回目/#1から続く・文中敬称略)。

 ◆◆◆

 長らく芸能活動を離れていた大河内が復帰したのは、2009年。それからしばらくして、最近ではテレビ番組などで元夫である新庄剛志とのエピソードについて語ることも増えてきた。

「テレビ番組とかで新庄さんのことをあんまり褒めすぎると、大抵『いい話』はカットされてしまうんですよね(笑)。だから、ちょっとキャラを作って面白おかしく文句を言ったり、新庄さんのおかしなところを話すこともありました。一応番組に出させていただいているから、盛り上げるためにその役に徹すこともありますが、そんな話ばかりの結婚生活ではなかったんですけどね」

新庄から届いた一通のメール

 阪神からFA宣言し、メジャーへ。3年間の米国での奮闘を経た新庄に、日本の球団が獲得に名乗りをあげ、日本ハムへの入団が決まった。

 新庄の帰国。球界にとっては再び新庄を迎えての盛り上がりの兆しだったが、夫婦にとっては別れの兆しでもあった。新庄は東京と札幌の二拠点生活でこれまでと違う環境に身を置き、その中で、次第に以前のような夫婦二人三脚の暮らしは変わりつつあった。

 日ハム3年目、人気絶頂でキャンプへと出かけた新庄は、キャンプ地から大河内へ「別れよう」と書かれた一通のメールを送る。阪神からメジャー挑戦、帰国して日ハム人気の牽引までの15年間に擦り切れていた大河内は、自分の長い裏方人生の終わりを受け入れた。

「別れるときに『今まで全部、志保の言うことを聞いてやってきて、それで成功できたし、感謝してる。でもこれからは自分の意思で人生やっていきたいんだ』って新庄さんに言われたんですよ。あっ、もちろんそうだなって。男の人にとって30代中盤って、これからがやっぱり男として勝負時だからそう思うのも当たり前だよね、って。頑張ってひとりの男で勝負して、と送り出した感じです」

 大河内は、2人で1つだった「新庄」から1人を新たな冒険へと送り出したのだ。「友達でもあり奥さんでもあり。もし神様がいるなら、あの時うまいことお互いに必要な者同士を会わせてくれたのかなって。それで別れる時が、離れるべきタイミングというか、もう離れるべき相手なんだなって感じたんです」。

「一生分の夫婦関係を15年に凝縮しただけかもしれない」

 そして、さっぱりとした顔でこう続けた。

「その時々に私たちが一生懸命してきたことの積み重ねだから、何一つ後悔はないんです。いい加減なことしてこなかったから。だからこそ、逆にすがすがしいぐらい。15年って短かったけれど、でも長さじゃない。ジェットコースターのように忙しい毎日でしたから、もしかしたら人の一生分の夫婦関係を15年に凝縮しただけかもしれないですよね。それを思ったら、それにプラスしてまた一人で生きる人生ももらえてるんだから、逆を言えばすごくラッキーな人生だなって思えるようになりました」

【次ページ】 「出会うべき時に出会い、別れるべき時に別れた」

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