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ダルビッシュも認めた大嶺祐太の剛速球…“離島のヒーロー”が千葉ロッテで過ごした15年間「また起き上がって立ち向かう」《中日と育成契約》
text by
梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara
photograph byChiba Lotte Marines
posted2021/12/28 17:07
15年在籍したロッテを離れ、新天地・中日で再スタートを切る大嶺祐太
初勝利はプロ2年目の08年7月24日。札幌ドームでダルビッシュ有と投げ合った。球界のエースというあまりにも荷の重い対戦相手。下馬評はファイターズ断然有利。しかし、勝利したのは大嶺だった。ダルビッシュは試合後に負け投手にも関わらず「彼のピッチングが自分より上だったという事。ナイスピッチングでした」とエールを込めたコメントを残した。
ヒーローインタビューでは名言を残した。
「石垣島から一番遠い、北海道でプロ初勝利を挙げることが出来たのも、なにかの縁だなあと思っています」
あんなに都会におびえ物静かで虫の音のような声で話をしていた若者がいつの間にかそんな気の利いたコメントを言えるようになるまでに成長をしていた。
誰もが離島のヒーロー誕生を喜んだ。未来を信じた。しかし、翌年は5勝止まり。10年は3勝。毎年のように「今年こそ2ケタ勝利を」と周囲から渇望されていた大嶺は、その期待をむしろ重圧と感じているかのように、日に日にマウンドに上がる時の表情が硬くなっていった。
「時々、海が恋しくなるんです」
苦悩の日々が始まった。11年はわずか1試合だけの登板で未勝利。12年はついに一軍未登板に終わった。その後、巻き返して15年にはキャリアハイの8勝を挙げるが待っていたのは右肘の痛みとの闘いだった。自信喪失を克服すれば故障。苦しく辛い日々が続いた。
「時々、海が恋しくなるんです。癒されたくなるんです。きょうはどうしても海が見たい。そんな日があるんです」
大嶺はいつも悶々とした日々が続くと海を思い出していた。
遠征のため乗った飛行機の中で読んだ機内誌で、沖縄の水族館特集が組まれていると無性に故郷の海が恋しくなり休みを利用して関東圏の水族館に足を運んだこともあった。幼い時は漁師の祖父といつも海に出て魚を釣って遊んだ。船に揺られ、魚を釣っている時はどんな辛い事も忘れる事が出来た。海の広さを感じるのが好きだった。自然の雄大さを全身で感じる事で自分の小ささを再認識し、また島に戻って頑張れた。そんな原点を思い出し、また頑張った。