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ダルビッシュも認めた大嶺祐太の剛速球…“離島のヒーロー”が千葉ロッテで過ごした15年間「また起き上がって立ち向かう」《中日と育成契約》 

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梶原紀章(千葉ロッテ広報)

梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara

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photograph byChiba Lotte Marines

posted2021/12/28 17:07

ダルビッシュも認めた大嶺祐太の剛速球…“離島のヒーロー”が千葉ロッテで過ごした15年間「また起き上がって立ち向かう」《中日と育成契約》<Number Web> photograph by Chiba Lotte Marines

15年在籍したロッテを離れ、新天地・中日で再スタートを切る大嶺祐太

 プロ入り15年目の今季は復活をかけて挑んだシーズンだった。

 19年1月に右肘内側側副靭帯の再建手術を受け、この年と20年のキャンプはリハビリに明け暮れた。いったんは育成契約も経験し、20年8月に再び支配下登録され、3年ぶりに一軍のマウンドに上がった。しかし、2試合の先発に留まり、未勝利でシーズンを終えた。一軍復帰こそしたものの、悔しさを残した。

 今年こその想いを胸に自主トレから体を鍛え強い決意のもと、新たな1年に挑み、春季キャンプから存在感を見せつけた。

「身体は今までで一番いい感じ。以前は88キロあった体重もつい最近、計測した時は81キロだった。そのせいか分からないけど疲れにくくなっている。ストレートもだいぶいい感じ。足も速くなりましたよ」

 大嶺らしい独特の口調で冗談も交えながら語る姿から調子の良さが窺えた。手術による辛く我慢を強いられたリハビリの日々が大嶺の心を強くしていた。

 キャンプではもちろん、全体メニューには入れず毎日、陸上競技場メインスタンドで黙々と階段上りを繰り返した。

「リハビリ期間は毎日、同じことの繰り返しということもあって正直、気持ちのアップダウンがあった」

 本当にこれでいいのだろうか。不安になることも多かった。もう治らないのではないか。マイナスな事を想像すると不思議と患部に違和感を覚えた。ただ、病院で診察してもらうと異常なしの診断。不安になっては安心して前向きになって。そんな日々を繰り返した。

「最後は気持ち。手術をした時はどん底。これ以上は下に行くことはないと思うようにした。肘もここからは良くなる一方。いざ、投げられるようになる時には万全でいけるように、この時間を無駄にしないようにしようと思った」

初めて電車通勤を経験して、発見したこと、

 ギプスをつけているため車の運転が出来ないこともあり、リハビリを行う二軍球場(浦和)には初めての電車通勤を経験した。都内では満員電車にも乗った。島から出てきた時はあれほど嫌だった電車が、いつの間にか自分の時間を作れる大切な場所となっていた。

 ある時、ふと成功した経営者の本が目に入った。読むと「車はあまり運転しない」という記述が目に留まった。

 なぜだろうか? 気になった。

「電車に乗ると目的地まで私を運んでくれる。その時間を仕事に充てたり、本を読んだり効率的に時間を使える」

 電車通勤を始めたばかりの大嶺はハッとさせられた。時間を無駄に使ってはいけない。それからだ。大嶺は電車通勤の中、スマホでメジャーリーガーの投球フォームの動画を見るようになった。片っ端から見た。長かった電車での通勤時間があっという間に感じた。そして発見もあった。

「色々なヒントがあった。これまでは上半身で力いっぱい投げるフォームだったけど、今は体幹と下半身を連動させることを意識して投げるようにしている。そうすると肩と肘の負担も少なくなる。リハビリ期間に色々な人に聞いたり学んだりして自分なりに考えた」と大嶺は振り返る。

【次ページ】 移り変わった背番号が物語る紆余曲折

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