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<53歳に>武豊「最も乗りやすかったのは、断然オグリキャップです」では、“最も難しかった馬”とは? 第一人者が明かす本音の“騎乗論”
text by
片山良三Ryozo Katayama
photograph byNaohiro Kurashina
posted2022/03/15 06:00
3月15日に53歳になった武豊。自らのJRA最多勝利記録を更新し続けている
「短期免許で日本に来て帰国後にブレークする人、多いですよ」
――鐙の踏み方ひとつとっても、違いがあるんですね。
「はい。ボクは親指一本で踏んでいます。厳密には親指の付け根。昔はみんなもっと深く踏んでいたんだけどね。日本で最初に鐙を浅く踏み出したのは、岡部幸雄さんです。次がボクじゃないかな。スタートで深く入ってしまうこともよくあるので、ボクは踏み直して浅く位置を変えます」
――浅く踏むのは海外の技術ですか?
「アメリカ由来ですね。今はヨーロッパでも浅く踏むジョッキーが主流です。フランキーももちろんそう。オリビエ(・ペリエ)なんかも最初から浅く踏んでいましたよ。彼は'94年に短期免許で来日したときが21歳で、武邦彦厩舎所属だったんです」
――ペリエは日本で力をつけたイメージがあります。
「そう思います。短期免許で日本に来たことで帰国後にブレークする人、多いですよ。スミヨンもそう、(クリストフ・)ルメールだってそうです。日本の競馬はシステムとして整っているので、すごくいい環境だと思います。調教師の指示も、海外に比べたら圧倒的に少なくて、騎手に任せてくれる人が多い。オリビエがエリシオで凱旋門賞('96年)を逃げ切ったときに、向こうのメディアのインタビューに『日本で逃げ切ることを学んだ』と答えてどよめきを誘ったんです。それまで、ヨーロッパでは逃げは勝つための作戦として認められていませんでしたからね」
――先ほど鐙の話が出ました。いま、鐙をオーダーメイドするプロジェクトをされているんですよね。
「気に入った鐙を履いて競馬に乗りたいな、とずっと前から思っていたんですが、そんなことできるはずないと半ば諦めていました。きっかけはゴルフクラブのアンバサダーのお話をいただいたこと。名古屋の会社を訪問して、鉄の塊をバーッと切っていく工程から見せてもらえて、『へー、アイアンってこうやって1つの鉄から作るんだ』って。これだったら鐙も作れるんじゃないかな、っていうところからですね」
――となると、これまでの鐙は既製品しかなかったんですか?
「日本はもちろん、ヨーロッパの騎手も売っているものの中から選んで使っています。素材によって値段に差はありますが、踏み心地においての大きな差をボクは見つけられなかったですね。ここがもっとこうなればいいのにな、っていう小さな不満はずっと抱えてたんです。そこを町工場の匠の技に叶えてもらったわけです。色々注文した中でも、絶対に譲れないのは強さでした。乗り手の命を預けるものなので、強度と安全性にはこだわりがあると伝えました」
――今回のケガのときに履いていた鐙はオーダーメイドのもの?
「そう。武豊モデルです。鐙、絶対に曲がってるだろうな、ってぐらいの衝撃でしたが、馬から下りて鞍を外して確認したら、小さな歪みさえ見つからなかった。まあ、結果として足は守られてはいなかったんですが(笑)。でも、思わぬ形で強度が確認できましたよ。何度もテストして物凄く強いのはわかっていたんですが、信頼度はさらに増しました」