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バンクーバー五輪選考前に大怪我、そして失踪…絶望にいた高橋大輔を救った長光コーチの言葉「何かあったら私があなたの前に立つ」
posted2021/12/25 11:06
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
AFLO
2009年の全日本選手権はいつにも増して熱気の立ち込める大会となった。
バンクーバー五輪代表を巡る激しい競争が予感された女子もさることながら、男子もまた大きな注目を集めていたからだ。
その中に、高橋大輔がいた。トリノ五輪に続き連続出場を目指す高橋にとって、長いトンネルを抜け出すための、舞台でもあった。
日本男子の代表枠は3。選考基準により、グランプリファイナルでの成績で織田信成は内定し、残るのは2枠。優勝すればその時点で内定を得られるという条件のもと、高橋は2年ぶりに優勝を飾り、長いトンネルを抜け出すための、舞台でもあった。代表を手にした。
「今までの全日本とぜんぜん違う、重い緊張感でした」
試合を終えて、高橋は語った。
それも無理はなかった。前シーズンを欠場して迎えた、、2年ぶりの舞台が五輪代表最終選考大会だったのだから。
五輪選考シーズン目前で大怪我、そして失踪
思いがけない出来事が襲ったのは2008年10月31日のこと。練習でトリプルアクセルを跳び、着氷したとき、右膝に違和感を覚えた。それでも練習を続けたが、やがて歩けない状態にまで悪化する。右膝前十字靱帯断裂および半月板損傷だった。さまざまな競技の何人ものアスリートが競技人生を左右された大怪我である。
11月に手術を受け、時を置いてリハビリが始まる。テレビの向こうでは大会が開かれている。オリンピック前年、いわゆるプレシーズンの重要性を知るからこそ、なおさら気持ちは沈んだ。簡単に立ち直ることはできなかった。
やがて行方不明となり、連絡も断つ。指導する長光歌子コーチはこう思ったと語っている。
「生きていてくれればいいわ」