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バンクーバー五輪選考前に大怪我、そして失踪…絶望にいた高橋大輔を救った長光コーチの言葉「何かあったら私があなたの前に立つ」 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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posted2021/12/25 11:06

バンクーバー五輪選考前に大怪我、そして失踪…絶望にいた高橋大輔を救った長光コーチの言葉「何かあったら私があなたの前に立つ」<Number Web> photograph by AFLO

高橋大輔を支え続ける長光歌子コーチ。バンクーバー五輪代表選考直前、絶望の中にいた高橋を救ったのは長光の言葉だった

 やがて自らコーチに連絡を入れた。

 このとき、長光コーチは、「やめたければやめていい、謝罪は私がすること」と言葉をかけたという。

「何かあったら私があなたの前に立つ」

 コーチの言葉に心が動いた。コーチだけじゃなく、周囲の人々の支えにもう一度目を向け、気持ちを立て直していった。

 五輪シーズンの開幕は近づいていた。

 2009年6月、1回転のジャンプが跳べた。もう一度怪我をしたら――。恐怖心と戦いながら、少しずつジャンプを取り戻していった。10月にはフィンランディア杯で1年半ぶりに試合に復帰。続くグランプリシリーズのNHK杯4位、スケートカナダ2位で進出したグランプリファイナルは5位。

 少しずつ感覚を取り戻しながら、ようやく迎えたのが全日本選手権だった。

綺麗に決めきれなくても「シーズンでいちばんの出来です」

 ショートプログラムは『eye』。NHK杯では久しぶりの国内での大会に気負いが勝り、ステップで尻もちをついたが、ファイナルでは世界歴代2位(当時)の高得点を叩き出した。この日も「シーズンでいちばんの出来です」とのちに振り返る、会心の演技を見せた。

 フリーは『道』。冒頭の4回転トウループは回転不足になる。その後も、綺麗に決め切れないジャンプはあった。それでも情感のこもったプログラムの世界は損なわれない。

 スピンから両手を前に差し出すポーズでフィニッシュ。高橋は笑みを浮かべると、回りながら場内に目を向けた。四方に一礼すると、氷上に投げ込まれたプレゼントを拾い、フェンス沿いで花束を次々に受け取る。

 今やれることはやりきった。

 そんな思いが伝わってくるような表情だった。

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 試合は終わった。ショート、フリーともに1位は高橋。そして2年ぶり4度目の優勝で、復帰シーズンを飾ると同時に、バンクーバー五輪代表をつかみとった。

【次ページ】 あの全日本選手権から12年

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