“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
中田英寿が駄菓子屋で言った「お前には最後までピッチにいて欲しかった」“同級生”小泉監督が韮崎サッカー部に伝えること
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byKatsuro Okazawa/AFLO
posted2021/12/27 11:06
高2年に選手権に出場した韮崎高・中田英寿。現在サッカー部を率いる小泉監督は、当時の言葉や振る舞いを今も鮮明に覚えている
小泉の“夢”が現実になったのは、2021年3月の人事異動だった。
韮崎高校への転任とサッカー部の監督就任を突然知らされた。驚きしかなかったと振り返るが、前任が高校時代に苦楽を共にした仲である今村優貴だったことにもより気持ちが高まった。若くして母校をインターハイに導いた仲間からバトンを引き継ぐ形で韮崎に舞い戻った小泉は、懐かしいグラウンドで新たな歴史の1ページをスタートさせた。
指導は現役時代のプレーを彷彿とさせるような、一瞬の動き出しやポジショニング、そしてボールコントロールを徹底したもの。就任当初はその細かい指示に戸惑いを見せた選手もいたが、小泉の熱のこもったアドバイス、そしてタイミングを見計らった声かけに、徐々に信頼を寄せるようになった。試合に出る選手、出られない選手に壁をつくらず、部員全員に目を配る姿勢は、中田からもらったさりげない優しさや言葉の数々が根底にあるのかもしれない。
「韮高サッカー部に入っている時点で、文武両道で勝ちたい、成長したいと思ってきてくれる子たちなんです。僕も仲間や指導者の人たちに恵まれて育ったように、彼らにもその環境の中でサッカーをさせてあげたいと思っています」
県予選決勝の相手は王者・山梨学院
今年、韮崎高はインターハイ予選、関東大会予選に引き続いて選手権山梨県予選でも決勝進出を果たした。相手は昨年度の“全国王者”山梨学院高校。80分間経ってもスコアが動かない緊迫した試合展開だったが、延長後半3分、ついに韮崎高が待望の先制点を挙げる。
13年ぶりの35回目の選手権出場が目の前に……しかし、延長後半アディショナルタイム、昨年度の選手権優勝にも貢献した山梨学院のエースFW茂木秀人イファインにゴール前のこぼれ球をゴールに蹴り込まれた。奇しくも決着はPK戦。部員全員で肩を組んで祈ったが、1人目のキッカーが止められた韮崎に対し、山梨学院は5人全員が成功。韮崎高と小泉が目指した100回大会への出場は叶わなかった。
「我々がリードしてからは相手の方が落ち着いていました。本当はプレー(の流れ)を切ったり、高い位置(敵陣)に取りたかったけど、(山梨)学院がそれをさせてくれなかったので、逆に苦しかった。本当に僕の力不足でした」
敗戦に無念の表情をにじませた小泉だったが、27年ぶりに舞い戻ってきた母校の伝統と精神は脈々と引き継がれていることをハッキリと感じ取ることができた。
「4月から見てきて、サッカーの取り組む姿勢や向き合おうとする心、そして勉強への熱意、本当に“文武両道”を貫いていることがわかった。その歴史を繋げて、さらに発展させていきたいと思います」
創部100周年の来年は必ず選手権に
2022年、韮崎高校サッカー部は創部100周年を迎える。大きな節目の年は必ず選手権の舞台に立つ――高校最後の試合はベンチで泣くことしかできなかった小泉が、新しい目標を達成するためにすでに気持ちを切り替えていた。
「緑のユニフォームが全国で躍動する『グリーン旋風』をまた起こしたいし、県民の皆さんにも早く見せたいです」
監督に就任してから中田とは連絡を取ったという。
「県の決勝でちょっと頑張ったくらいではヒデからは連絡はきませんよ。でも、あの時のようにもしかしたら数カ月後ぐらいに、ボソッとくるかもしれないですね。それも彼らしい激励だと思っています。ヒデがいたから僕はサッカーマンとして、人間として成長をさせてもらえた。フィールドは違いますが、今も互いに向上心の塊であることに変わりはない。スパイクを脱いでもヒデはヒデであり続けている。だから、僕も僕であり続けたいし、韮高サッカー部も韮高サッカー部であり続けたいと思っています」
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