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フェラーリ、新幹線、大阪メトロ…凄腕“世界的デザイナー”は、なぜJ2山形の新エンブレムを「代表作」と呼ぶのか?
text by
生島洋介Yosuke Ikushima
photograph byJ.LEAGUE
posted2021/12/25 11:02
来シーズンからロゴとエンブレムを一新することを発表したJ2モンテディオ山形。「残していきたいクラブの誇り」をデザインに込めた
そこで、相田社長と鳥飼さんら検討チームは、開き直って真正面から当たっていく。「KEN OKUYAMA DESIGN」の公式サイトにあった問い合わせフォームから、社長がメッセージを入れたのだ。まず限られた予算をさらけ出し、なぜエンブレムを変更したいのか、どういうものを作りたいのか、思いの丈を文字にした。
当初は、多くの“お問い合わせ”のなかに埋もれていたのだろう。なんの音沙汰もなく10日が過ぎた。「まあ、無理だよな」、そんな空気が生まれた頃、諦めきれない鳥飼さんがこれまた公式サイトにあった代表番号へ電話。どうやら用件を奥山へ伝えてもらえるようだった。すると2日後に相田社長の元に返信が届いた。奥山からのメッセージだった。最初のコンタクトから2カ月、ようやく最初のミーティングにこぎつけた。
一方、奥山は当初から「いよいよオファーが来たか」という思いだったという。
たしかにデザイン会社の代表として、売上を気にしないわけにはいかない。
「正直、経営を考えるとその差は大きいです。仕事として我々がやることは、規模が違ってもほとんど同じですから。同じ労力をつぎ込むことが我々の仕事とも言えます」
トリノで触れた「街」の誇り
ではなぜ? そこにはかつてカーデザイナーとして、イタリアに12年暮らしたことが影響していた。
「トリノに住んでいましたからね、ユーベ(ユベントス)が試合をしていると、もう仕事にならないんですよ。みんなそわそわして。特に大きな試合はチェックしておかないと、スケジュールが立てられない。F1やヨットなどと違って、サッカーはあらゆる階層の文化ですから、みんなをつなげるもの。サッカークラブを持っている街や企業は、それが誇りなんですよね。だから、自分が生まれ育った街のサッカークラブから、いよいよオファーが来たか、と」
ダメ元のオファーから始まったプロジェクトだったが、動き出すと早かった。重ねたミーティングでは、クラブのアイデンティティの再確認から、具体的なデザインへの落とし込みへ、話を進めるたびに新エンブレムのあるべき姿が整理された。
そこで生かされたのが、山形で生まれ育った奥山との共通認識だった。こちらで山と言えばそれは出羽三山であり、川と言えば最上川。その山や川から抱くイメージもはっきりしている。共有している奥山には説明するまでもなかった。