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フランス・フットボール通信BACK NUMBER
《女子バロンドーラー》バルセロナの「女王」アレクシア・プテラスが赤裸々に語った私生活と父の死とサッカー
text by
フランス・フットボール誌France Football
photograph byGetty Images
posted2021/12/19 17:04
バロンドール授賞式でのプテラス。ドレスアップすると美貌が際立つ
私の家族
家族は私がサッカーをやりたいと言ったときからずっと支えてくれています。最初に母からかけられたのは、『あなたのためにチームを見つけるわ』という言葉でした。私はといえば、学校の休憩時間に校庭でサッカーをして、青あざをつくって帰宅する毎日でした。ただ、最初は彼女も半信半疑だったかも知れません(笑)。でも私が真剣だとわかってからは、無条件で私を支えてくれています。
よく言われるのは『成功には犠牲がつきもの』という言葉ですが、犠牲となったのは私ではなく私の家族です。娘を練習に連れて行き連れて帰る。時間を費やして一緒にジョギングをする。そして週末になれば、朝10時キックオフの試合のために、カタルーニャの片田舎まで行って試合を見なければならない……。彼らは私が思い描いた夢のために、そうしたことをずっとやってくれました。
母との関係は、ちょっと他に類を見ないほどに強いです。とりわけ父が亡くなってからは、サッカーのことも本当によく話します。彼女は私が15歳になったときから、私のすべての試合を見ています。母も含め家族は全員がバルサのファンですから、私も彼らを代表してバルサでプレーしているという気持ちも少しあります。
私の父親
父を亡くしたときに、私の中に何かが生まれました。私がこれまでしてきたこと……(言葉を途切らせ感極まる)、すべては父のためでした。父が私の最大の理解者でした。今の私を誇りに思ってくれているでしょう。でも、彼はもうここにはいません。それが人生ではありますが……。私が思い描いた夢を、周囲はなかなか信じてくれませんでしたが、ただひとり父は違っていました。だから父には、今の私を見て欲しかった。私が何を成し遂げたのかを。彼の魂がどこにあるにせよ、私を見て幸せな気持ちになっていると思っています。
思い出すのは17歳のときにバレンシアのレバンテで過ごしたことです。スポーツ面では悪い年ではなかった。プレーの機会を求めての移籍だったので、自分でも納得していたし充実してもいました。だが、父が亡くなった後にバルセロナに戻らねばならなかった。私の青春時代に、そのことは大きな影響を与えています。バルサとの契約にサインしましたが、すべてはもの凄いスピードで進みました。