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欧州サッカーPRESSBACK NUMBER
“メディア不信”のプラティニがダバディ相手に明かしてくれた《1986年W杯ブラジル戦、伝説の死闘ウラ話》
posted2021/12/09 17:01
text by
フローラン・ダバディFlorent Dabadie
photograph by
Alessandro Sabattini/Getty Images
実はこの数年間、プラティニはいっさい取材を受けず、地元メディアにも会っていません。
筆者が日本特派員を務めるフランスの全国スポーツ新聞『レキップ』の編集長も「プラティニを取材するんだって、なんて羨ましい。僕たちは5年以上も待っているよ」と取材前夜に明かしてくれました。
プラティニはもはやメディアを信頼していません。一方でフランス・サッカー連盟もプラティニの話題をタブーとしています。しかし、いまなおフランス・サッカー界にとって永遠のヒーローであることは間違いないのです。
80年代に3度バロンドールを獲得したプラティニに、あるゲームを振り返ってもらいました。それは多くのフランス人、そして世界のサッカーファンの胸に刻まれている86年メキシコ大会のブラジル戦――。
我々にとっては完全なアウェー戦だったね
――準々決勝のブラジル戦は、試合前から一部のメディアで「事実上の決勝戦」と言われていましたね。
「フランスはあの大会の本命で、ブラジルは歴史的に世界ナンバーワン。世界中が待っていた激突だったね。両チームともプレースタイルが攻撃的で、技術レベルも高い。ブラジルは82年大会のベテランと有望な若手が融合されていて、もちろん中盤にはすばらしい4人(ジーコ、ソクラテス、ファルカン、セレーゾ)が揃っていた。だがフランスにも黄金の中盤(プラティニ、ジレス、ティガナ、フェルナンデス)がいた。
ただ、我々にとっては完全なアウェー戦だったね。グアダラハラのハリスコ・スタジアムを埋めた5万の観衆のうち、フランスからの応援団はせいぜい2000人。ほとんどがブラジル・サポーターで、お祭りのような雰囲気だった。あの競技場は70年大会でペレが偉業を果たした大会でも使われたスタジアムであり、ブラジル代表はこの大会でもグループリーグ3試合を戦っていた。さぞ居心地が良かっただろうね」
――戦前の期待通り、両チームが攻め合う展開となりました。しかし、先制したのはブラジルのカレッカでした。