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《初の春秋連覇》國學院大は「あと一歩」の呪縛をどう解いたのか? 勝負師・鳥山監督が野球を考え直した井村雅代の指導法
posted2021/11/30 06:00
text by
上原伸一Shinichi Uehara
photograph by
Shinichi Uehara
秋の東都大学野球リーグ戦。國學院大は20季ぶり2度目の優勝を遂げた春に続き、2季連続で頂点に立った。初栄冠は創部94年目にあたる2010年の秋。東都連盟創設時(5大学で1931年にスタート)から名を連ねていたが、優勝が遠かった歴史がある。
それが1年間で2度の優勝。國學院大は部の歴史を大きく塗り替えた。
2年前には駅伝部が大学三大駅伝の1つ、出雲駅伝で優勝。私立大では日本で3番目に古い國學院大は文系の大学として知られているが、駅伝に続いて野球でも快挙と、スポーツの分野でもその名を響かせている。
「最後の1年にするつもりだった」
同校として史上初となる春秋連覇の裏には、10年秋よりチームを率いる鳥山泰孝監督の知られざる覚悟があった。
「実は今年優勝できなかったら、監督として最後の1年とするつもりだったんです」
思わぬ打ち明けだった。驚くこちらをよそに、鳥山監督は言葉をつないだ。
「選手には伝えていませんでしたが、(3位だった)昨秋のリーグ戦が終わってすぐ、竹田利秋総監督(前監督)と上月健太コーチには『そう考えています』と話をしました」
初優勝を果たして以来、國學院大は何度も惜しいところで優勝を逃してきた。「あと1歩」が及ばず、僅差で2位に甘んじたことが5度もある。
「はね返されるたびに、どうやったら乗り越えられるのか、これでもか、これでもかと考えてきましたが、『僕は優勝できない監督なのかな』と思ったこともありました(苦笑)」
振り返れば、修徳高の監督時代も07年夏と10年夏の2度、東東京大会の決勝で敗れている。
ただ、自分が決して「運」が、「勝ち運」がない監督だとは思っていない。「竹田前監督が築かれたものを引き継いだだけでしたが、90年以上優勝していなかった中、就任1シーズン目で優勝監督になれましたし」。