Number ExBACK NUMBER
“スノーボードの父”ジェイク・バートンを知っていますか? 藤原ヒロシら「裏原宿クリエイター」が明かす秘話
text by
福原顕志Kenshi Fukuhara
photograph byBURTON
posted2021/11/20 17:00
“スノーボードの父”ジェイク・バードン。2年前の2019年、65歳の若さでこの世を去った
1年間密着して取材をし、2014年にドキュメンタリーを放送したが、彼の壮大な物語は、40分余りの番組ではとても描き切れなかった。そして2019年11月に突然の訃報を聞いた時、その物語の全てを多くの人に知って欲しいと思い、筆をとることにした。そうしてこの命日に向けて書き下ろしたノンフィクションが、『スノーボードを生んだ男 ジェイク・バートンの一生』だ。
世界中を旅行するジェイクが、中でも日本が大のお気に入りであることは知っていたが、この本に向けて日本の関係者に取材を重ねるうちに、彼と日本との深い繋がりが浮き彫りになっていった。
初めてボードを買った日本人「見たこともない一枚の板で…」
まだアメリカで売り上げが伸び悩んでいる頃に出展したニューヨークの見本市で、この板は一人の日本人の目にとまった。当時、日米で貿易商を営んでいた小倉一男だ。
「雪の上を見たこともない一枚の板で自由に滑っている映像に惹かれたんです」
小倉は、すぐにバーモント州のジェイクの工場を訪ねると、いきなりジェイクに車に乗せられ近くの山に連れて行かれた。
「『板に紐がついているからそれを掴んで膝を曲げて』とだけ言って私の背中を押すんですよ。それが私の記念すべき人生一本目でした。100メートルくらい転ばずに滑れましたよ」
これは面白い、と思った小倉はすぐに100枚を注文して日本に輸出した。1982年のことだ。こうしてスノーボードは世界に先駆けて日本に持ち込まれたのである。後に、小倉はジェイクに見込まれてバートンジャパンを立ち上げ初代社長に就任した。
中村ヒロキ「本質があるからカッコいい」
そのバートンジャパンに、社員一号として入社した中村ヒロキも、ジェイクの人生に大きな影響を与えた一人だ。他のブランドの板と違い凝ったグラフィックなどは施さない無骨なバートンの板になぜか惹かれた。「ダサいけどカッコいいんですよね。その理由が知りたくて入社したんです」
入社後、本社の販売ミーティングで初めてジェイクに会った時、中村はその理由を知った。泥だらけのSUVから小汚い格好で降りてきたCEOは、全世界から集まったディーラーたちの前で、その年のコレクションへの自分の思いを熱く語った。そして、ボードからブーツからウェアまで、全ての商品を毎朝滑って自分で試すのだと言った。
「上っ面のグラフィックじゃないんだ。真摯により良いものを作ろうという姿勢が現れた板だから惹かれたんだ。本質があるからカッコいいんだと気付いたんです」