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“スノーボードの父”ジェイク・バートンを知っていますか? 藤原ヒロシら「裏原宿クリエイター」が明かす秘話 

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福原顕志

福原顕志Kenshi Fukuhara

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posted2021/11/20 17:00

“スノーボードの父”ジェイク・バートンを知っていますか? 藤原ヒロシら「裏原宿クリエイター」が明かす秘話<Number Web> photograph by BURTON

“スノーボードの父”ジェイク・バードン。2年前の2019年、65歳の若さでこの世を去った

 中村はバートンで多くを学んだ後、独立して自身のブランドvisvimを立ち上げた。ジェイクが一時経営から離れ、バートンが経営危機に陥っていた2010年、立ち直るきっかけを与えたのは中村だった。仕事で来日したジェイクが久しぶりに中村を夕食に誘った。乃木坂のステーキハウスで「ヒロキ、今のバートンをどう思う?」と聞かれた時、中村は率直に答えた。

「今のバートンはジェイクの顔が見えてこないよ。ジェイクが不在なのが商品にも現れている。僕が惹かれたバートンは、無骨で真面目に人と向き合うあなたのエッセンスが凝縮された会社だった。あなたのように人の心を惹きつけるものを作りたいと思って、僕も自分でブランドを始めたんだよ」

 中村とのこのディナーの後、アメリカに戻ったジェイクは、再びCEOに返り咲くことを決め、会社の経営再建を行った。

裏原クリエイターたちとの“知られざる交流”

 晩年、全身の筋肉が麻痺して動かなくなる神経症を患い、生死を彷徨う病から奇跡的に再起した後、バートンを興して初めて自身のシグネチャーラインを作った。そのコレクションでコラボしたのは、日本の裏原ファッションを代表するブランドNEIGHBORHOODの滝沢伸介だった。

「シン(滝沢)は僕がスノーボードでやっていることをリスペクトしてくれているし、僕は彼がストリートウェアでやっていることをリスペクトしている。ベストを作り出す者としてお互いを尊敬してるんだ」 

 冬に日本を訪れると必ず北海道に行き、ニセコのパウダーを楽しんだジェイクは、日本に通ううちに、日本のモノづくりの姿勢にも感銘を受けるようになった。雪山を超えて街でも着られるアパレルを目指していたジェイクは、ストリート文化を体現した裏原ファッションに興味を持った。

 そんな中で藤原ヒロシとも知り合った。自身も生粋のスノーボーダーである藤原とは特に気が合い一緒に滑る仲になった。藤原はバートンのアウターウェアも手がけるようになった。

藤原ヒロシ「こういう大人になっても大丈夫なんだ」

「マイノリティの中でやっていたスノーボードが自然に大きくなったのと、裏原文化がメインストリームになっていたことが、時代やカテゴリーは違えど、空気感は似てると思ったんじゃないですかね」

 滝沢とのコラボのサンプルチェックで日本を訪れた2019年10月末も、ジェイクはいつものように藤原をお茶に誘い、都内のカフェで他愛のない話を楽しんだ。その翌日に急に体調を崩したジェイクは予定を切り上げてアメリカに戻り、そのまま帰らぬ人となった。

「僕もアウトローな人生を送っているので、このままでいいのかな、って不安になることもあるんですが、ジェイクは『こういう大人になっても大丈夫なんだ』っていう自信を与えてくれる存在でした」

 ジェイク・バートンが真っ白な雪の上に描いた一本の軌跡と、そこに絡み合う人たちの物語をぜひ辿って欲しい。

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