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落合博満「努力とか大嫌いさ、あんなの」「1600万円しかもらってませんから」 ロッテ時代の強烈な《三冠王語録》の真意
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byKyodo News
posted2021/11/08 11:01
1983年2月の落合博満。“練習嫌い”だったとはいえ、練習の質は群を抜いていたという
「そりゃ嫌いっていうけど、練習しますか、しませんかといえば、それは多少はしますよ。ゲームで体が動かせる程度の練習はね。(中略)毎日アタマからゲームにいって、約3時間、ずっとゲームの中に入って体動かしてるわけでしょ、オレら。だから、ゲームに入ってゆくための体づくりの練習をやればいいんだ。
それをみんな間違えてるんじゃないの。日本人の悪いクセで、これだけやって負けたらもう仕様がねぇんだというあきらめというのかな、予防線というのかな、張りたがるんじゃない。けど、負けたら終りなんだよね」
秋山、清原に負けるわけにはいかないんじゃない
<名言4>
秋山、清原に関しては、まだ負けるわけにはいかないんじゃない。俺の力が落ちるまでは。
(落合博満/Number154号 1986年8月20日発売)
◇解説◇
1986年のシーズン開幕前に「三冠王宣言」を口にした落合だったが、5月中旬時点で打率・本塁打・打点ともに10位台。実は6月中旬時点での「三冠王」は西武の秋山幸二だった。さらにこの年はPL学園から西武にドラフト1位で入団した清原和博が高卒1年目とは思えぬスケール感を見せ、中盤戦からはクリーンアップを任されるほどになった。
なおかつ阪急にはブーマー・ウェルズという80年代を代表する外国人スラッガーがいた。そんな群雄割拠の中で当時32歳の落合が有言実行できるのか、それとも世代交代の波が来たのか……との空気感もあったのだという。
教えたってこいつには絶対負けないだろうと思うから
しかし落合は泰然自若としていた。それどころか秋山に教えを請われ、快諾したこともあったのだという。それについて問われると、落合はこう返した。
「うん。大事なバッティングのコツを何で教えるのかっていわれる。教えたってこいつには絶対負けないだろうと思うから教えるのさ。(中略)でも、どれだけ教えたって、やっぱり先生が一番強いよ。元祖がね。独自でやらなかったら、先生を越すことは絶対にできないさ。
だって、オレが教えるってことは、そのことによってまた、オレが勉強してることでもあるんだから。オレなりにまた新しいものを発見していくんだから」
落合は夏場以降、一気に秋山の成績を逆転。気づけば打率でも2分4厘の差があったブーマーを追い越し、最終的には打率.360、50本塁打、116打点という成績で2年連続の三冠王に輝いたのだった。
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