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阪神の“最強助っ人”バースはなぜ34歳で突然引退したのか? 「スワローズとホークスから話が来ている」他球団移籍が成立しなかった事情
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2021/11/04 06:02
2年連続三冠王、日本記録のシーズン打率.389、7試合連続本塁打などの偉業を残したバース(中央)。なぜ85年の日本一から3年後に引退になったのか?
来日した年に阪神監督を務めていた安藤統男が作戦コーチでいたヤクルト入りが度々報じられたり、88年12月3日号の「週刊現代」独占インタビューでは「今のところ、代理人にはスワローズとホークスから話が来ている。メジャーリーグ3球団からも誘いがあるが、阪神タイガースにいたときの年俸を保証してくれれば、ボクは喜んでホークスにいくよ」と、福岡に移転したばかりのダイエーに強い興味を示している。
現実的にメジャーの控え一塁手兼代打要員より、高額年俸の日本球界でプレーしたい。興味深いのは「週刊ポスト」88年8月5日号で取材を受けたバースの「いま中日ドラゴンズが誘いにきている。落合とオレで3番、4番を打たせたいらしい」というコメントだ。もしバースと落合が並ぶ夢のクリーンナップが実現していたら、どんな強竜打線が完成していただろうか。さらに意外なことに、本塁打記録を巡り因縁があった巨人の王監督も「バースが獲得できるものならお願いしたい」と一時期乗り気だったという。
“カネで球団と揉めている”イメージ
なおバースは平成が始まったばかりの89年春、回復したザクリー君とともに再来日。お世話になった人々に挨拶とお礼を伝え、初めて東京ドームで巨人と西武のオープン戦を親子で観戦したと「週刊ベースボール」89年5月1日号の取材に答えている。日本では1億円を超えると報道された治療費は、実際はトータル5万ドル(650万円)ほどで済んだという。しかし、それ以降バースが日本球界に復帰することはなかった。34歳での事実上の引退である。一連の医療費の交渉が、カネで球団と揉めているというイメージとすり替わり、足枷になってしまった感は否めない。
NPB6年間で通算打率.337、202本塁打、486打点。OPSは1.078という凄まじい数字と強烈なインパクト。今も「神様バース」の最強神話が根強いのも、結果的に他球団に移籍せず、全盛期のままユニフォームを脱いだことが大きいのではないだろうか。
甲子園でのラストダンスなき悲しいお別れ。ランディ・バースはファンに衰えた姿を見せることなく、三冠王のイメージを残したまま突然去ってしまった。<前編から続く>