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「おれは、苦しいんだ」田原成貴が聞いた菊花賞馬マヤノトップガンの“声”とは…人馬ともに型破りな〈脚質・自在〉の誕生秘話
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph byJIJI PRESS
posted2021/10/23 17:00
正攻法の横綱相撲で後続を抑え込んだ菊花賞。マヤノトップガンの勢いは止まらず、古馬相手の有馬記念も逃げ切って年度代表馬に輝いた
京都の芝外回りコースで行われる菊花賞と天皇賞・春では、3コーナーの坂を2回上り下りする。そのさい、2周目より1周目に気を使わなければならないと田原は話している。この菊花賞も、ポイントは2周目ではなく、1周目をスムーズにクリアできたことだったのだ。
馬体にしっかりとした芯が入り、重心の低い、安定した走法に変わるなど、夏を越しての成長もあった。それも勝因だったと言えそうだ。
つづく有馬記念では、前年の三冠馬ナリタブライアン、女傑ヒシアマゾン、天皇賞・秋を制したサクラチトセオー、皐月賞馬ジェニュインなどの強豪を相手に逃げ切り、GI2勝目をマーク。同年の年度代表馬と最優秀4歳牡馬に選出された。
田原によると、完勝に見えた菊花賞でも、実はゴール前で止まっていたのだが、この有馬記念で、初めて止まらずに走り切ってくれたという。
「名勝負でも何でもない」田原が語る伝説の阪神大賞典
古馬になった96年の年明け初戦は3月9日の阪神大賞典だった。
このレースで、田原のトップガンは、武が乗るナリタブライアンと600mに及ぶ壮絶な叩き合いを演じ、頭差の2着に惜敗した。名手と名馬によるマッチレースは、ゴール直後から「歴史的名勝負」と絶賛された。
しかし、田原のとらえ方は違っていた。
「あれは名勝負でも何でもない。おれの馬にはカーブやフォークなどの決め球があるのに、ぽっとストレートを投げて、それを打ち返されただけなんだから」
レース後、田原はそう話した。
トップガンは、田原が言うところの「決め球」を見せぬまま、つまり、この阪神大賞典と同じように先行する競馬をして、次走の天皇賞・春ではサクラローレルの5着に敗れた。同じような競馬でも、メンバーが弱化した宝塚記念を勝つことはできたが、同年の天皇賞・秋ではバブルガムフェローの2着、有馬記念ではサクラローレルの7着に終わった。
田原はトップガンの“声”に耳を傾けた
トップガンにとって最後のシーズンとなった翌97年、田原はついにトップガンに「決め球」を投げさせる。
年明け初戦の阪神大賞典で、トップガンは、ゲートを出ると最後方に待機した。スタンドがどよめいた。道中もずっと最後方だったが、勝負どころから持ったままで進出し、2着を3馬身半突き放して圧勝した。