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「ちゃんと答えます」古賀紗理那が明かした東京五輪とケガのこと、「私、何のために復帰するの?」から再びスイッチが入った理由
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byAFLO SPORT
posted2021/10/14 06:00
東京五輪を終えた後、バレーボールと離れた時間を過ごしたという古賀紗理那。頭の中を整理しながらリーグ戦へと気持ちを切り替えていた
本来ならば復帰できる状態ではない。だが自国開催の五輪で悔いを残したくない。その一心で、古賀は復帰を決意した。
女子バレー日本代表の若宮啓司トレーナーや日本選手団の医科学チームによる治療と並行し、「上がるべき階段を一気にすっ飛ばした」と振り返るように、受傷後2日目から練習に参加。ステップやジャンプから開始した。
少しでも不安げな表情を見せれば「紗理那は無理をしているんじゃないか」と悟られると考え、練習中もあえて感情を出さないよう努めた。
やれるべき準備はした。ケガをした日の夜、「韓国戦の復帰を目指そう」と話した中田久美監督のもとへ古賀は向かった。自らの意志を告げたのは、その韓国戦の前日だった。
「明日は私もユニフォームを着ていいですか?」
当日、試合に向けた選手ミーティングの直前、中田監督からスタメンが伝えられる。リベロを含めた7名の中に、ケニア戦以来、古賀の名が記されていた。
古賀本人も驚いたスタメン起用
「出てもワンポイントか、後衛3ローテぐらいだと思っていたので、さすがにスタメンと伝えられた時は驚きました。でも出るからにはやるしかない。選手ミーティングでも『足首は大丈夫です。ただサーブレシーブをしてから攻撃に入るのは負担になるから、免除してもらってもいいですか?』と言ったら、小幡(真子)さんが『わかった。黒後を入れて、私もカバーする』と。私だけでなく、韓国戦はそれまでと違うスタメンだったので、正直みんな不安だったと思います。でも絶対に勝たなければならない試合だったので、疑問を抱いている場合じゃなかった。とにかく、勝つしかなかったですから」
あのケガからわずか6日後、万全な状況でないことは言うまでもなかったが、覚悟を決めた、とばかりに鬼気迫る表情でコートに立った古賀は、いつもと変わらぬ表情で跳び、打ち、拾う。
この韓国戦も、最終戦となったドミニカ共和国戦も、絶対負けない――ただその一心で戦った。しかし、チームとして見れば「絶対に勝てる、という自信や確信、方法はなかったと思う」と唇を噛み締める。
結果的に「最後の1本」が決められなければ、その矛先が向けられる選手がいる。だが古賀は「絶対に誰かが悪いわけではない」と断言し、「全部言い訳になるのはわかっている」と前置きしながら、負けられない試合で喫した敗戦を振り返った。
「たぶんみんなが『どうにかしたい』と思っていたんですけど、大事なところでチームとしての薄さや脆さが出ました。この5年、セッターが変わり続けてチームが固まりきれなくて、“負けたら終わり”という試合でもチームが1つになれなかった。実際、私も含めて全員が“チームが勝つために”というより、自分のことしか考えられないぐらい、追い込まれていました。だからとにかく必死で、勝ちに行く姿勢が一番大事だと思っていたので、1点でも1本でも食らいつきたかった。
でも全員が全員、同じように闘志をむき出しにしていたわけではなく、落ちたボールを呆然と見送ることもあった。これで終わっちゃうんだよ、その意味がわかってる? と試合中に何度も思ったぐらい、バラバラだった。終わった瞬間は、悔しくて、情けなくて涙も出ませんでした」