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「ちゃんと答えます」古賀紗理那が明かした東京五輪とケガのこと、「私、何のために復帰するの?」から再びスイッチが入った理由
posted2021/10/14 06:00
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
AFLO SPORT
熊本信愛女学院高2年時の2013年に日本代表へ初選出されてから8年が過ぎた今夏、古賀紗理那は初めての五輪出場を果たした。そして、10位という成績で五輪を終えた後、これも「人生初めて」という長い休暇を得た。
その間、あえて意図的に、古賀はバレーボールから離れた。
「このまま辞めようとは思わなかったけど、もういいかな、みんな頑張って、という感じも、正直ありましたね」
五輪の初戦で負傷した右足首の状態はまだ万全ではないが、それでも着実に前に進み始めた。間もなくⅤリーグが始まる今、「振り返りたくない」と笑いながら、紐解く記憶。
「ちゃんと答えます。東京オリンピックのことは、しっかり言わないといけないし、ちゃんと書いておいてもらわないと」
救急車の中で考えた「チーム」のこと
7月25日。女子バレー日本代表にとって、記念すべき東京五輪の初戦。ケニアから2セットを連取した第3セット序盤、10-7の場面でアクシデントは起こった。
前衛でブロックすべく、いつも通りのポジショニングで、いつも通り古賀が跳ぶ。1つ違ったのは、着地した場所に相手の足があったことだった。
「私に踏まれて、相手選手も咄嗟に足を引いたんです。避けようとしてくれたんだと思うんですけど、結果的にはそれがよくなかった。足裏全体が乗るより、中途半端に足裏が半分かかった状態だったので、結構な勢いでグニっと捻ってしまった。その瞬間は痛くなかったし、立とうと思えば立つこともできました。でも完全に捻ったのはわかっていたので、この状態ではもうダメだ、と思いましたね。『あー、終わった』と、ショックで涙が止まりませんでした」
会場から救急車で病院へ運ばれる間も、よぎるのは自分が去った後のチームのこと。
「大会に向けてサーブレシーブの連携をずっと(石川)真佑と確認し合ってきたので、真佑は大丈夫かな、(黒後)愛の表情は沈んでないかな、って。心配と不安しかなかったし、申し訳ない、としか思えませんでした」
病院でレントゲンとMRIを撮影した際も、「どうせ無理だろう」と絶望に近い感情しかなかった。だが、医師からは「現段階で靭帯損傷はないので、腫れが引けば復帰することはできる」と診断を受けた瞬間、一気に心持ちが変わった。
「復帰できるなら絶対やってやろう、と。今考えるのはそれだけでいいと思ったので、その時から、人前では絶対に『痛い』と言わないと決めたんです。本当はめちゃくちゃ痛かったけど、『痛くない』『大丈夫』と一種の暗示ですよね。そう言い続ければ行ける、と信じていたし、もう一度戻りたかったから必死でした」