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「トミヤスはユーべが獲るはずだった」から2年で“30億円DF”に… 冨安健洋が育ったイタリア流守備の極意《鬼の闘将も惜しむ》
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byGetty Images
posted2021/09/17 11:03
セリエAで力を蓄えた冨安健洋。守備の国での2年間があったからこそ、アーセナルへとステップアップできた
昨季までのセリエA出場60試合のうち、冨安は3分の2にあたる40試合を右サイドバックとしてプレーした。センターバックとしては18試合に留まった。
闘将ミハイロビッチが見抜いた“高い能力”とは
入団当初はセリエA初の日本人チェントラーレ(CB)として地元の興味を誘ったが、闘将シニシャ・ミハイロビッチは冨安の高いアスリート能力に目をつけ、1年目の開幕戦から右SBで重用した。
守っては相手のサイド展開を封じ高低クロスの抑え役となるだけでなく、中央のサポートにも入る。攻めては前方の右ウイング、FWリッカルド・オルソリーニと縦の高速ホットラインを築いた。オルソリーニはそのシーズンにチーム1位タイの計9ゴールを上げ、冨安はボローニャの攻守戦術の柱の一つになった。
2年目には前年の主戦DFマッティア・バーニ放出もあり、指揮官は開幕からベテランDFダニーロと組ませる形で冨安をCBへコンバート。しかし、冨安のポジション変更は右サイドの攻撃機会減少とそこを崩されての失点増大というデメリットももたらした。昨年12月、インテルとローマとの連戦で計8失点の連敗を喫したのは象徴的な例だ。冬の市場後、冨安は再び右SBへ戻された。
最終ラインにいた冨安こそ、ボローニャの隠れた攻守の柱だった。
20年近くセリエAを取材してきて思うことだが、イタリアの第一線にいる外国人指揮官は、概して外国人選手に厳しい。同胞にも温情をかけないし、ミスすればイタリア人選手以上に容赦なく叱り飛ばす。
とりわけミハイロビッチは最も苛烈だ。自身が異国からの傭兵的存在として色眼鏡で見られながら差別的野次とも戦い、反骨心と努力で成功を収めた苦労人だけに、新顔外国人にも“貴様も乗り越えてみせろ”という要求が高くなるのだろう。
「大量得点で勝てるような代表戦で冨安を使うな」
マルチユース&バリアブル(可変型)プレーヤーとして使い勝手がよく、ハードワークを厭わない。メディアに愚痴一つこぼさず、チームの勝点を目指して黙々と汗を流す冨安に、鬼のミハイロビッチも虜になった。