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「トミヤスはユーべが獲るはずだった」から2年で“30億円DF”に… 冨安健洋が育ったイタリア流守備の極意《鬼の闘将も惜しむ》
posted2021/09/17 11:03
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph by
Getty Images
「冨安はユベントスが獲るはずだった。話はほとんど決まっていた」
電話の相手は、ベローナのGD(ゼネラル・ディレクター)だった。
ちょうど2年前の今時分、夏の移籍市場が終わり、DF冨安健洋がシント・トロイデンからボローニャに移籍して、セリエA開幕からイタリアでも徐々にその名が知られつつあった頃の話だ。
聞き捨てならない発言は、十数年来の旧知であるディレクター氏との雑談の中で飛び出した。冨安がユベントスの選手になるはずだったとはどういうことか。
「一旦ユーベが獲得して、レンタルでうちに回す。彼らが将来性を見込んだ若手選手を囲いたいときによくある話だ。シント・トロイデン側から売り込みがあって、パラティチとはそう話がついていた」
パラティチとは当時ユベントスで補強一切を仕切っていたSDファビオ・パラティチのことだ。彼は昨季限りで11年働いたユーベのフロントを去り、この夏からトッテナムで辣腕を振るっている。
交渉はほとんどまとまっていたが、ベローナのマウリツィオ・セッティ会長はその取引を割に合わないと感じ、話は流れたという。彼らにはクラブ生え抜きで冨安より2歳若いDFマラシュ・クムブッラ(現ローマ)がいたからだ。
「うちが手を引いた瞬間、ボローニャはすぐに」
実のところをいえば、ユベントスが保有権を持つ若手は国内外に結構な数がいて、それほど珍しいわけではない。だが、当時弱冠20歳だった冨安のユベントス入団が現実のものになっていれば、日本サッカー界にとっても大きな意味があったはずで、いつかの機会に記そうと今まで秘めてきた。
「うちが手を引いた直後、ボローニャはすぐに冨安を獲った。彼のポテンシャルに賭けたんだ」
今年の8月最後の日、冨安のアーセナル移籍が決まると、件のディレクター氏は「惜しいことをした」と苦笑いした。彼がボローニャに残した移籍金2300万ユーロ(約30億円)は、イングランド以外の国の地方クラブならどこでも羨むレベルの大成功にあたる。
ボローニャは、2年をかけて冨安を育て上げた。