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「トミヤスはユーべが獲るはずだった」から2年で“30億円DF”に… 冨安健洋が育ったイタリア流守備の極意《鬼の闘将も惜しむ》
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byGetty Images
posted2021/09/17 11:03
セリエAで力を蓄えた冨安健洋。守備の国での2年間があったからこそ、アーセナルへとステップアップできた
ナポリの育成部門にいた10代のカンナバーロが、マラドーナのいるトップチームの練習に呼ばれたときのことだ。
のちにバロンドールを受賞する名手もハイティーンだった当時は、憧れる現人神の近くでボールに触れると思っただけでガチガチに緊張したらしい。ナポリの10番の球捌きは魔法そのもので、ボールは彼の左足に吸い付いて誰も取れないと言われていた。
ボールを奪われたマラドーナは怒るどころか……
練習への初参加から数日後、まだ高校生年代だったカンナバーロがタックルでマラドーナからボールを奪った瞬間、その場の空気が凍った。周囲の人間たちは皆、ありえないと狼狽し、気まずい空気がチームを覆った。
だが、練習後のマラドーナは怒るどころか、まだ緊張が解けないカンナバーロのところへやってくると、笑ってそのスパイクをプレゼントしてくれたのだという。
「“自分の憧れであるマラドーナを止めたんだ”と自覚できたことが何より大きかった。あのとき、俺は確信した。一流のDFになるには一流の相手と勝負することが必要だと」
鬼のミハイロビッチが異例の惜別メッセージ
レッドスター(現ツルベナ・ズベズダ)時代に22歳で欧州チャンピオンズカップを制した闘将ミハイロビッチは、冨安へ惜別のメッセージを送った。
「ベルギーでプレーしていたとはいえ、イタリアにやってきたとき、冨安はまだ無名の存在だった。ここで2年を過ごし、欧州に名の知れたアーセナルへと出世した。ボローニャから欧州サッカー界のビッグクラブへ出世した選手は一体いつ以来になるのか、私も覚えてないくらいだから冨安の移籍は喜ぶべきことだろう。
監督の私にしてみれば、彼は守備のあらゆるポジションに適応できて確実に試合のパフォーマンスを計算できる選手だった。そんな貴重な戦力に移籍市場の最終日に出ていかれたんだから、当然やるせない気持ちもある」
鬼のミハイロビッチが、すでに移籍していった選手に長い言葉を紡ぐのは異例のことだ。闘将はプロ監督としての矜持も示した。